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悪意が生まれる原因を聖書から学ぶ

使徒言行録14章1節18節   文責 中川俊介

パウロとバルナバはアンティオキアで迫害され、足の塵を払い落して、イコニオンという町へ転進しました。アンティオキアからイコニオンまでは100キロ以上の道のりでした。ここも当時のガラテヤ州にあたります。そのころのパウロの外見について述べた2世紀の資料にはこう書いてあります。「パウロは小柄な人物で、頭は禿げており、脚は曲がっていた。顔の眉はひっついており、鼻は鷲鼻であったが、とても親しみやすい容貌であった。彼は天使のような顔をしていた。」[1] きっと、福音によって生まれかわったパウロの心情が顔にもでていたのでしょう。イコニオンでの宣教方法も今までと同じで、ユダヤ人会堂に行ってユダヤ人や異邦人からの改宗者に語るというものでした。やはり、旧約聖書を知っているということが伝道には好都合だったと思います。そう考えると、日本での伝道は、旧約聖書の知識のない者に対して福音を説くという、かなり困難な課題を抱えているという事になります。パウロとバルナバは迫害に苦しみましたが、日本では理解のない岩のような場所に福音の種をまくという困難さがあります。

1節を見ますと、イコニオンでの伝道は成功し、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入ったと書いてあります。「これは、疑いもなくパウロがガラテヤの教会への手紙を書いた際に心にとめていた信徒の群れであるだろう。」[2] それまで、彼らが福音を知らなかった時代に吸収したものが、神の時が来て花咲いたようなものです。この場合にも、福音は良い知らせであり、パウロやバルナバのような伝える者がいなくては伝わらないのです。わたしたちの人生でも、誰かに福音を伝えてもらっていることは確かです。

ところが、神の働きの顕著な場所には、悪魔の妨害も起こります。「福音が真剣に語られる時、かならず信じる人がでてきます。しかし、そこには反対者も出てきます。ただ、信仰のある時、その反対さえ恵みに有利に働きます。」[3] せっかく、アンティオキアの迫害を逃れてイコニオンに来たパウロとバルナバでしたが、ここでも困難が生じました。信じた者はよかったのですが、信じようとしない者は心を頑なにして、自分たちだけではなく異邦人改宗者も巻き込んで反対運動を起こしたのです。「古いやり方のままを変えないユダヤ人たちの一部は、あらゆる手段を用いて教会の建設をはばもうとし、異邦人の住民をそそのかし、キリスト者に反対させた。」[4] 2節には、彼らが人々に使徒たちに対する悪意を抱かせたと書いてあります。どういう方法でそうしたのかはわかりませんが、ここでは、エペゲイローという言葉が用いられており、かきたてる、刺激する、興奮させるという意味です。人が悪意を持つにいたるのは、その人が大切にしている価値観や存在が軽んじられた時です。「それは、主イエスがこの世に来られた時にもそうでした。」[5] おそらく、使徒たちの福音はそれまでの旧約聖書の教えの完全否定だという噂を流したのでしょう。

それでも、二人はそうした嫌がらせや誹謗中傷に負けず、イコニオンにとどまりました。おそらくアンティオキアのような身体的迫害はまだそれほどなかったのでしょう。ここでの「主を頼みとして」という訳は原典にたいして正確ではなく「主に関して」としたほうが良いでしょう。主に頼ってであるとしたら、それは使徒たちの姿勢をあらわすことですが、使徒たちの姿勢に重点は置かれておらず、主の導きによって証しを続けたことに意義があるのです。また、そのように導いたのも主なのです。ですから、3節後半の部分で、そのことがさらに詳しく書かれていて、使徒たちの奇跡や福音の宣教は、彼らの実績ではなく、主が使徒たちを器として用いてこれらの事を行ったというのが聖書的な見解です。ルカはそれを強調したいのです。人間の偉大さではなく神の栄光です。ここで大切なのは、神の働きが驚くべき不思議な業と、豊かな恵みの言葉によってなされたことです。これが初代教会の伝道の基本形だったことは確かでしょう。現代ではどうでしょうか。伝道の形について、皆で考えてみましょう。

次に、4節には興味深いことが書いてあります。これは実際にイコニオンで起こった事です。使徒たちの不退転の伝道によって、イコニオンの人々は福音を受け入れる人々と、拒否する人々に分裂しました。「ルカがパウロを使徒であると述べているのはこの箇所だけである。」[6] この分裂は、ある面で避けられないことです。ルターの宗教改革の際にも、ヨーロッパ全土はカトリックとプロテスタントに二分されたのです。おそらく、そこに隠された神のみ心があるのでしょう。

対立が激化した時に、事態はアンティオキアでの迫害と同じように暴力問題となりました。彼らの反対運動は、為政者をも巻き込んだものでした。それは単に力関係ではなく、おそらく、行政の許可を得て使徒たちを処刑するためのものだったでしょう。その証拠に、彼らは投石の刑にかけようとしていたことが分かります。パウロとバルナバはこれを察知して他の町へ逃れました。「神の国を目指すキリスト者の第一の特徴は、弱さです。」[7] 抵抗せず、逃げるしかなかったのです。乱暴な者や、無理解な者と対決しない態度は立派なものです。わたしたちはどうでしょうか。皆で考えてみましょう。

次の町である、リストラやデルベですが、リストラはイコニオンから数十キロ、デルベは100キロ近く離れた場所です。どこに行っても使徒たちは福音を告げていました。8節に、リストラでの出来事が記録されています。「リストラでの出来事が重要なのは、ここで初めて使徒たちはユダヤ教の会堂のない場所で伝道したことである。」[8] 福音書にあるイエス様と足の不自由な人の話と類似しています。この男は生まれつき障害を持っていました。その生涯で一度も歩いたことがなかったのですから、おそらく、歩行に必要な筋肉も発達していなかったことでしょう。パウロは話を聞いていたこの男に癒されるための信仰があるのを見ました。「使徒言行録や福音書では、身体的な癒しや、精神的な癒しを受ける前提として信仰が強調されていることに注意する必要がある。」[9] わたしたちの感覚では、どのようにしてパウロがこの判断をしたのかは理解しにくいものです。おそらく、彼の目の中に信仰の思いを認めたのでしょうか。ただ、原典には9節にある「ふさわしい」という言葉は認められません。神は、ふさわしいとか、ふさわしくないとかの条件はつけないと思います。聖書がいいたいことは、この男に信仰があったという事であり、信仰は癒しを生むという事でしょう。御言葉を聞いたことによって信仰心が生じ、奇跡が起こったのです(ガラテヤ3:5参照)。そこでパウロは大声で立つように言いました。号令をかけるようなものです。そして、それが人間の世界の号令ではなく、神の恵みを知らせる号令です。その結果、この男は歩きだしました。人知を超えた出来事です。

人びとの反応はどうだったでしょうか。11節には、彼らが驚きのあまり、パウロの事を神だと思ったと書かれています。公用語であったギリシア語を忘れて、地元の言葉で叫んだのもその驚きの現れでした。それほどの出来事でした。神が降臨したというのです。人々は、使徒たちの性格に従って、物静かなバルナバをゼウス、雄弁なパウロをヘルメスと呼びました。「たまたまこの地方には、古くから一つの伝説がありました。それは、この地に住んでいたピレモンとバウキスという農夫の老夫婦は、昔ギリシャの神々であるゼウスとヘルメスが現れたとき、それとは知らずにもてなし、その親切の報いを受けたというのです。」[10] ここでも、パウロが雄弁な人間だったことが感じさせられます。それだけではなく、13節にあるように、リストラにあったゼウス神殿の祭司までがゼウス神の降臨のニュースを聞いてやってきて、二人を礼拝しようとしました。雄牛を引いてきたのは、おそらく生贄のためでしょう。ただ、ゼウスが雄牛に姿を変えてエウロペの所に来た時に、エウロペが雄牛を花で飾ったというギリシア神話もあります。

このとき使徒たちは14節にあるように、服まで破いて叫びました。服を裂くことは、「ユダヤ人が神をけがす言葉を聞いたとき、驚愕の気持ちを現すためになした動作である。」[11] そして彼らの願いは、人々が偶像を信じるのをやめて真実の神に帰依すること、また彼らの奇跡の力は彼らのものではなく神の働きの証明だと知ってもらう事でした。それは使徒言行録をまとめた筆者のルカが読者に願っていることでもあります。今でも、ゼウス神は牡牛座に現されています。そして星占いなどを信じているものも少なくないのです。本当の福音は、偶像ではなく、生きて働く神のよき知らせです。この点をわたしたちはどう考えるでしょうか。話し合ってみましょう。

15節後半から、この機会をとらえてパウロたちは説教しています。その第一は、聖書が伝えている神は、天地創造の神であることです。その分類が興味深いもので、世界を天と地と海に三分割しています。そして16節では、神が人類をすぐに裁くことをせず、自由にさせておいたとパウロたちは語っています。これも神の愛のしるしでしょうか。すぐに結論を出さないのも神の働きの特徴でしょう。

17節以下の表現を見ると、パウロたちが異邦人の視点に立って教えを説いていることがわかります。「この演説はパウロがアテネの哲学者たちに語った内容に関連している。」[12](使徒言行録17:22以下参照)天地創造のことから、モーセ五書にある律法や、預言者の言葉を説明するのではなく、神の証しという概念が出ています。神が御自分の存在をあらわしているよ、ということです。この場合も、存在を表わしてないわけではない、という非常に婉曲な表現をしています。おそらく、聞く者の理解力や偏見を考慮してのことでしょう。福音宣教にはこうした配慮が大切でしょう。「確かにパウロは、偶像や偶像礼拝についてあらゆる厳しい、さげすみの言葉を避けてはいた。」[13] 神の存在の証拠として、天よりの雨、収穫、食物などを列挙しています。これらすべてが神の恵みだというのです。そういわれてみれば、確かにそうです。花で飾った雄牛やパウロとバルナバが神なのではありません。神の偉大さを矮小化してはいけないでしょう。そして、神こそが、心を喜びで満たしてくださる愛の神なのです。ここで、神とは一体どんな方なのかが明確に示されています。相手が異邦人なのですから、十字架の贖いとか、救い主イエス・キリストのことは語られていませんが、異邦人に対しては、神論から出発するのが良い方法だと感じさせられます。日本のような異教の地では、やはり、神の創造主としての働きと、偉大さ、また人の幸せをもたらす方としての説明が有効でしょう。「日本のような異教社会においてキリストの福音が受け入れられるためには、何よりも先ず日本人の神観が正しくされねばならない。」[14]

18節をみると、パウロとバルナバの説教によって、無知な人々は彼等に犠牲を捧げて礼拝することの愚かさを悟ったようです。真実が明らかにされた瞬間でした。パウロとバルナバがこの町に来なければ、彼らはいつまでも真理を知ることが出来なかったでしょう。イエス様がガリラヤで始めた伝道も、時を経て、はるか遠くの地で異邦人に伝えられることとなったのです。その進展の原因としては、迫害という負の要因を神が用いて善と変えてくださったことを忘れてはならないでしょう。

 

[1] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、136頁

[2]  前掲、 P.ワラスケイ、「使徒言行録」、136頁

[3] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、205頁

[4]  シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、182頁

[5] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980年、520頁

[6] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、233頁

[7]  前掲、蓮見和男「使徒行伝」、209頁

[8] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、234頁

[9] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、290頁

[10] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、524頁

[11] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、763頁

[12] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、238頁

[13] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、184頁

[14] 前掲、矢内原忠雄、「聖書講義1」、764頁

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