聖書研究

人生の諸問題の解決法を聖書から学ぶ

使徒言行録15章1節-21節   文責 中川俊介

パウロを迎えたアンティオキア教会の人々が伝道の進展を喜んだのもつかのまで、また違った問題が起ってきました。直接の迫害ではないのですが、はるばるユダヤからクリスチャンがやってきて、救いの条件を強要してきました。「ユダヤ人社会は、密接に結びついた全体を形成していたから、小アジアやアンテオケで起こったことは、エルサレムにも知られ、そこでも動きをみせるようになった。」[1] イエス・キリストの福音によって自由が与えられているはずでした。しかし、古いしきたりや古い習慣から自由になれない人々もいました。特に、ユダヤ教では律法の規律が厳しかったので、その影響から抜け出せない人もいたでしょう。それにしても、1節にあるように、「割礼を受けなければ救われない」というのはどうでしょうか。勿論、割礼はユダヤ人の一つの通過儀礼であったわけですが、イエス様の説いた救いは「悔い改めて洗礼を受ける」という点にありました。しかし、こうしたことを個人的に考えているだけなら大きな問題にはならないでしょうが、アンティオキアまできて信徒に勝手に教えていたのですから問題が生じます。「ユダヤからの使者が来た時にペトロはアンティオキアに滞在していた。」[2] そして、ペトロやバルナバでさえ影響を受けました。

2節を見ると、この事態が尋常なことではなかったことがわかります。また、勿論、彼らすべてはキリストの愛に生きているのですが、教えについては相手にゆずるとか相手をたてるとかは意味をなさないようです。日本人は論争を嫌いますが、真実が明らかにされるには意見の対立や論争も避けられません。救いの根本問題に関することであり、たとえて言えば、難しい症例を前にした医療カンファレンスのようなものです。そこには人々の命がかかっているのです。どちらに決めてもさして影響のないアディアフォラな問題ではなかったのです。そこだけ見ますと、この件はアンティオキア教会だけでは決着がつかなかったようです。ただ、「アンテオケの教会は、パウロから離れなかった。」[3] ですから、「ユダヤから来た人々」というのもかなり理論的に高度なものを身につけた人々だったことでしょう。彼らはエルサレム教会から派遣された人々だったのです。彼らは「キリストを信じることを、旧約聖書の教えの完成であるとは思わず、むしろ破壊だと考えたようです。」[4] ここで、初代教会は外からの迫害だけではなく、内側にも軋轢が起ったのです。それは、信仰による解決が求められるところです。わたしたちの問題解決法はどうでしょうか。皆で話してみましょう。

パウロとバルナバがとった解決策は、エルサレムへ行って教会の指導者層と協議する事でした。この辺の状況はガラテヤ信徒への手紙2章1節以下に詳しく書いてあります。派遣された人のことを、パウロは「潜り込んできた偽の兄弟たち」と呼んでいますが、彼らと話しても結論が出ないのですから、派遣した本部へ行くのが正しい選択だったと思います。そして、この結論に達するのにもアンティオキア教会の人々は祈りのうちに協議を進めたことが分かります。

3節を見ると、パウロやバルナバを含む代表団が、陸路エルサレムをめざしたと書かれています。海岸地帯のフェニキア、そしてイエス様も通ったサマリヤ地方を経てエルサレムへと旅したのです。その際にも、各地の教会で異邦人伝道の報告をして喜ばれたとあります。すでに、各地に伝道の拠点があったわけです。そして、地方のクリスチャンは異邦人伝道に対しても非常に理解があったことが分かります。イエス様の教えそのものに生きていたのでしょう。問題は、権威者の側にあります。組織の問題はその指導者の問題であると言っても過言ではないでしょう。現代でも、教会の伝道の停滞の原因を、時代とか予算とかのせいにしがちです。実は、これも指導者の問題であると考えてもおかしくないでしょう。イエス様は素晴らしい指導者でした。時代は決してよくなかったし、予算もありませんでしたが伝道は進みました。

彼らの旅は無事に終わり、エルサレムに到着しました。意外にも、アンティオキアでの論争とはうってかわって、4節にあるように、パウロとバルナバは使徒をはじめ教会の指導者たちに歓迎されました。つまり、ガリラヤ出身者である使徒たちには反対者がいなかったのです。ですから、パウロとバルナバも喜んで第一回伝道旅行の成功について語りました。ただ、本当の反対者は隠れていたのです。あまりにも歓迎の勢力が強いので、最初は発言しなかったのでしょう。それだけ見ても、彼らがかなり巧妙な人々であるかが察知されます。問題は歓迎がひと段落してから起こりました。5節にあるように、ファリサイ派からの改宗者が異邦人もユダヤ人のようにすべきだと発言しました。これには、ユダヤ人信徒は賛成したでしょう。自分たちが行っているように、安息日を守り、生まれたばかりの男子には割礼を授けるのです。そんなことは当然だと思っていたことでしょう。

この問題提起があった時には、個人的な意見交換ではなく会議をするために使徒や長老たちが集まりました。教会会議の起源とも言えます。「人々がこの集まりを、最初の教会会議と呼んだのも理由のないことではない。」[5] それは、投票や規則によってではなく、祈りを基本として協議するための場でした。7節を見ると、この際にはアンティオキアのときのように激しい対立はみられません。今回は議論がひと段落した後で、ペトロが立って発言しました。彼は、ファリサイ派でもなく、イエス様がファリサイ派について批判していた事柄を直接に見聞きしたことがある弟子でした。彼には特に聖書の学問はありませんでしたが、聖霊の働きに導かれ、イエス様の教えに動かされ、学識者の前でも立派に立場を表明できるようになっていました。その言葉は重要です。第一に、ペトロは神がペトロを選んだこと、ひいてはイエス様がペトロを教会の指導者として選んだことを述べています。そして、第二の点としては、その選びは異邦人がペトロの口から福音を聞いて信じるためだというのです。ペトロは自分に起こった不思議な出来事を忘れていませんでした。それは、ヤッファの幻、カイサリアでの異邦人の集団入信です。ペトロの素晴らしいことは、神の異邦人伝道への御心は知っているにも関わらず、最初から他の意見を退けて自分の結論を押し付けなかったことです。神の御心を信じる人は余裕を持って反対意見を聞くことが出来ます。本当の結論を知っているからです。そのペトロの結論は、8節にありますが、神が聖霊を異邦人にも与えたという事は、神が異邦人をありのままに受け入れたことであるというのです。「このことの認識は、わたしたちには、律法を守る力がないという認識にほかならないからです。」[6] 神が受け入れたとは、とりもなおさず、無条件で(イエス様による律法の実現によって)救われたという事です。パウロは救いにおける聖霊の働きを重視しました。使徒言行録自体が聖霊の証しの書でもあるわけです。9節が特に素晴らしいのですが、あらゆる迫害をとおして鍛えられたペトロは、心を清めるのは人間の行い、習慣、儀式などではなく、信仰のみであることを確信していました。「わたしたちは、信仰プラス・アルファーではなく、事実において、神のものであることから出発しましょう。」[7] これは永遠の真理です。アーメン信徒という、福音的な物の見方があります。大いに結構なことです。ただこれも両刃の剣であって、信仰を抜きにしてしまったら、単なる怠惰の肯定にすぎません。アンチ・ノーミナリズムと呼ばれます。ペトロは、キリストの信仰によって、ユダヤ人にも異邦人にもなんの差別もないことを明らかにしました。ペトロはそれを実際に体験したのです。

10節からは、ファリサイ派の人々に対するペトロの反論が始まります。この形は、パウロも後に継承しています。まず、自分が神に選ばれていること、福音と信仰、そして福音を無にしようとする律法主義への反論です。ペトロの論点は二つあります。第一に律法の重荷はどんな人でも完全に負うことが出来ない事。第二に、自分が負えない負担を他者にかぶせることは、神への試みであり、サタンの業だという事です。それはイエス様の一貫した教えでした。「教師としてのイエスは、律法をしめすユダヤ教の比喩であるくびきについて独自の解釈を与えている。」[8](マタイ11:28以下参照)この神への敵対行為というのは大変なことです。決定打は、11節の言葉です。わたしたちは、割礼でも自分の業でも、自分の信仰でもなく、主イエスの助けと恵みを信じて救われるのです。そこにはユダヤ人や異邦人の差別はありません。勿論、割礼の有無による差別もありません。

このペトロの信仰に満ちた発言のあと、会場は静かになりました。「イスラエルは、神の律法を満たし、自ら義となったと、あえて語る者はいなかった。」[9] 実際に、どんな律法によっても彼らは正しい人々にはなれなかったので、イエス様を十字架につけるようなことをしてしまったのです。神の霊が彼ら自身の過ちを示しました。ですから、その後で、パウロとバルナバは第一回伝道旅行の成功について自由に語ることができました。話の後で、「イエス様の弟であったヤコブに人々の関心が集まりました。彼はすべての人から大きな尊敬を受けていました。」[10] 彼は異邦人伝道を支持しました。「この働きによって、キリスト教徒の集まりでは、彼が最重要な役割をになっていたことがわかる。」[11] ここでも神の選びについて言及されています。異邦人の選びも平等主義からではなく、神の選びを基本としています。この点をしっかり学習すると人生の諸問題への対応にも役立ちます。われわれが、状況を分析して決めるのではなく、神の決断があるのです。このことを、皆で話し合ってみましょう。

会議の中でシメオン(ペトロのユダヤ名)がこれを既に話したようです。ヤコブはさらに続けて、旧約聖書(アモス書9:1以下)を引用して、異邦人伝道が既に聖書で預言されていることを証しました。先ず聖書の言葉を述べ、それから自分はこう思うと19節にあります。これも大切な姿勢です。自分を第一にするする傾向を誰もが持っています。しかし、聖霊が支配するなら神の言葉が第一となるのです。「教会に役員会が開かれ、総会が開かれるのは、みんなでただ考え、いい考えをそこに出すためではなく、何が主のみこころなのかを求め、そこに到達するためなのです。」[12] ヤコブの結論は、割礼の事で異邦人を悩ませてはいけないという事でした。ヤコブの提案は、禁止事項を、偶像への供え物であった肉を食べない事、みだらな行いを避けること、絞め殺した動物の血と肉を避ける事に限定することでした。それらは、異教の習慣と距離を置くことを意味していました。「つまり、異邦人キリスト者の周りには、たくさんのユダヤ人がいるのです。そのユダヤ人のつまずきにならないようにというのが、この四項目なのです。」[13] 割礼の事は入っていません。イエス・キリストの救いは完成であって、何かを加える必要はないのです。そして、この事を異邦人教会への公式な書状とするということを提案しました。それをユダヤ教の会堂礼拝の際に回覧して朗読するという事でした。個人の意見ではなく、会議全体の同意事項をまとめ、内部分裂を避けることができました。これが、その後何度も行われることになった教会会議の発端である、エルサレム会議(紀元48年)です。こうした聖霊によって導かれた会議なしには今日のキリスト教は存在しなかったでしょう。

[1] シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、189頁

[2] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、303頁

[3] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、191頁

[4] 尾山令仁、「使徒の働き下」、羊群社、1980年、14頁

[5] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、193頁

[6] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き下」、18頁

[7] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、216頁

[8] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、144頁

[9] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、195頁

[10] 前掲、F.ブルース「使徒言行録」、309頁

[11] 前掲、P.ワラスケイ、「使徒言行録」、146頁

[12] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き下」、20頁

[13] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き下」、21頁

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