サケ・マス漁などと言う時には、サケ(鮭)と呼んでいる魚は、時には、塩ジャケということもあります。サケが正しい呼び方なのでしょうか、それともシャケでしょうか。全国的には、サケと呼ぶ人が48パーセント、シャケが62パーセントくらいだそうです。これには、諸説があるようです。そのなかでもアイヌ語起源説が有力です。アイヌ語の鮭は「サクイベ」とか「シャケンベ」なので、そこから二つの呼称が派生したようです。この呼称問題は、聖書の神の呼称についての問題を想起させます。聖書には、神とか主とか書いてありますが、どちらが正しいのでしょうか。これを考えるには、まず、ユダヤ教での神概念を理解する必要があります。これはとても興味あることです。例えば、仏教では大日如来とか帝釈天とかの神的存在には名前がついています。ユダヤ人はこうした諸神の名前に疑問を持ちました。神に名前をつけることがおかしいのだと考えました。例えば、親が子供に名前をつけたり、ペットに名前をつける場合には、親の立場の方が上位です。神に名前をつけられるとしたら、名前をつけて神を分類した「人間」の方が上位だという理屈になってくるのです。さすがに頭脳明晰なユダヤ人だと思います。そこで、旧約聖書にもHYという神の名前らしき綴り字は登場しますが、ユダヤ人はこれを発音しません。そして、HY(日本語ではヤハウェと訳されている)を主(ヘブライ語でアドナイ)と読み替えているのです。イエス様も純粋なユダヤ人でしたので、ヤハウェではなくアドナイと呼んで、祈ったはずです。そして、教会では、主イエス・キリストという呼称が広く使われています。あれは、この論理から言うと、神・イエス・キリストです。そして、イエスというのは元来ヘブライ語のヤホシュアという固有名詞で、あのモーセの後継者となったヨシュアの事です。ですから、イエス様のヘブライ語の名前はヨシュアです。また、キリストとは救世主の意味です。ですから、これらを総合して考えると、主イエス・キリストという呼称は、「神である救世主ヨシュア」、となります。サケとシャケの問題も複雑ですが、聖書の中の神の呼称もかなり複雑ですね。最後に一言。キリスト教神学では、人間は己の努力や知識によって神を知ることができないとしています。人間固有の原罪という壁があるからです。そして、人間が自己都合によって作り出した神は、すべて偶像であり、偽りの神です。これは神の名前と同じで、人間が造ったことによって人間の方が神より上位に立っているからです。「木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め、一部を燃やしてパンを焼き、その木で神を造ってそれに伏し、木像に仕立ててそれを拝むのか。」(イザヤ書44章15節)人間が真実の神を知ることは、一つの奇跡であり、仲保者である「神である救世主ヨシュア」の贖罪を信じることによって実現します。サケ・シャケから始まりましたが、少し深い話になってしまいましたね。疑問に思う点がありましたら、お問い合わせ蘭を通して、ご遠慮なくお尋ねください。