聖書研究

聖霊の働きによる重荷の解消を聖書から学ぶ

使徒言行録16章1節-18節  文責 中川俊介

パウロの伝道の熱意は冷めることを知りません。以前、投石によって迫害され、もう少しで死ぬところだったリストラや同じ街道筋にあるデルベにも行きました。「これらの都市は数年前に行われた最初の伝道の際に訪れた場所だった。」[1] その時の伝道旅行は海路を経たものでしたから、順路としては、リストラからデルベでした。今回はアンティオキアから陸路を行ったので、表記もデルベ、リストラの順になっています。この道をゆく時に、パウロの心中にはどんなことが想起されたでしょうか。一つだけはっきりしているのは、また迫害を受けることを怖れなかったということです。過去の自分への反省も含めて、人間の過ちの根源にある、律法主義をパウロほど認識した人はないでしょう。だから故に、パウロは以前の町であるデルベとリストラに行って福音を告げたかったのです。

1節後半には、新約聖書でなじみ深いテモテという人物が登場します。パウロはテモテの事を「信仰によるまことの子テモテ」(第一テモテ1:2)とまで言っています。パウロは、以前の伝道旅行の際に若きテモテに福音を伝えたのです。テモテはユダヤ人の母親に育てられたので、すでにユダヤ教については基本的な知識を持っていたと考えられます。彼は、リストラや、近くの町であるイコニオンでも知られているくらい模範的なクリスチャンでした。興味深いことですが、自分の信念を曲げることがないパウロですが、3節には、テモテを伝道旅行に同伴させるとめに、ユダヤ人信徒から無用な非難を受けないように、テモテに割礼を授けたというのです。「どうして、あのテトスの時には、パウロは断固として反対した割礼を、このテモテの場合には、進んで受けさせているのでしょうか。」[2] パウロは、反割礼主義でした。「このために、パウロは二重人格者であるとまで言われ、首尾一貫性に欠けると非難されてきました。」[3] そのパウロが、福音伝道のために、敢えて自分の主張を捨てて、割礼を容認することができたのです。この割礼は救いのための割礼ではなく、伝道を円滑に行い、テモテがユダヤ教会堂で説教できるようにするためにユダヤ人に対してはユダヤ人の認める手段をとったのです(第一コリント9:20参照)。さて、わたしたちはどうでしょうか。伝道のために、相手の要望に沿うことが出来るでしょうか。この点について考えてみましょう。

その後、パウロとテモテたちは4節にあるように、多くの町を巡回して、エルサレム使徒会議の書面を見せ、決定事項を伝えて回りました。対象がユダヤ教会堂でしたから、本家本元のエルサレムで決められたことは権威があったと思います。特に、それは「使徒と長老」たちの共通意見だったわけです。こんなことがあって、パウロたちの伝道もずいぶんとやりやすくなったことでしょう。その頃のパウロは、エルサレムの使徒と長老たちの権威を大切にしていましたが、後にはイエス・キリストの権威に集中するようになります。それはそうと、その当時はエルサレム使徒会議の決定によって異邦人の重荷は除かれ、教会は成長していきました。また、律法主義を異邦人にまで押し付けようとする思惑は砕かれ、「聖霊による重荷の解消」(使徒言行録15:28)が伝えられたのです。これは多くの異邦人に歓迎されました。そして、教会の成長は、信仰の成長であったことを覚えることが必要でしょう。また、人数もそれを具体的に現す指標です。日本の教会が、まだまだ小さいのは、信仰が弱いと考えてもよいでしょう。

6節からは違った話題に移ります。彼らはローマ帝国内のリカオニヤ州にあったデルベとリストラを中心として巡回し、伝道を続けていたのですが、アジア州には行きませんでした。迫害をも恐れないパウロたちでしたが、聖霊の指示には従っていました。彼らは、もっと西方にあるアジア州で御言葉を語ることを聖霊によって禁じられていました。彼らが具体的な行動範囲についても天からの指示を受けていたことは驚くことです。人間の好みや利害ではなく、祈りの中で、御心を求めた結果でしょう。そこで、アジア州を避け、フリギア・ガラテヤ地方を抜け、北部にあるビティニア州という現在のイスタンブール対岸の地方に行こうとしたのですが「イエスの霊がそれを許さなかった」という事が起りました。それまでは、聖霊となっていましたが、ここではっきりと「イエスの霊」と書かれています。「これは高挙されたイエスの霊を示すものであろう。」[4](マルコ16:20参照)つまり、彼らは彼等だけで存在していたのではなく、「イエスの霊」とともに歩んでいたのです。イエス様が、進めと命じれば進み、イエス様が停まれと命じれば停まったのです。イエス様との二人三脚と言えるでしょう。信仰とは、自己の強い確信であるというよりは、むしろ正反対であって、自分の思いを空にして聖霊に聞くことではないでしょうか。「これらの体験は、パウロの歩みが、いかに完全に服従に基づいていたかを示している。」[5] パウロたちが到達したのは、トロアスであり、トロイの遺跡のあるトルコ西部の海岸地帯です。8節に「下った」と書いてあるように、山岳地帯から海岸の低地へ下ったのでしょう。

9節には、パウロがおそらく夢の中で幻を見たことが書かれています。それは、海の反対側にあるマケドニアに渡るように促す内容でした。マケドニア人が助けを求めている様子でした。前回の伝道旅行では、パウロたちはギリシア本土には行っていませんし、パウロの生涯においても、アレキサンダー大王で有名な、ギリシア北部のマケドニアに行ったことはなかったようです。これは、「福音が初めてヨーロッパに渡る時、歴史的な時であります。」[6] 10節では、それまでナレーションのように裏で語っていたルカの生の声が出ています。「彼が私たちという言葉を導入した仕方から、おそらく、トロアスでルカはパウロと結びついたのであろうと推論するだけである。」[7] パウロが幻を見た時、「わたしたちはすぐに出発した」というのです。「このことは、記者だけでなく、読者もパウロと一緒に伝道に行く気持ちにさせる」[8]、という効果を生みだしています。そして、ルカもテモテもパウロも、神がこの事のために彼らを召しているのだと確信するに至ったのです。彼らの行動はすばやいものでした。自分たちの意志や、利益や、便利さではなく、神の御心を求めていたことが分かります。現代の日本における伝道に関して、神の御心は何でしょうか。その点を考えてみたいものです。

11節からは、彼らの船旅の様子が描かれています。それは途中でサモトラケ島を経由する200キロほどの船旅でした。ネアポリスというのがギリシアの港町でそこから10数キロ内陸にある町、マケドニア州内のローマの植民地都市であるフィリピに到着しました。この町はアレキサンダー大王の父親であったフィリピ王が築いたものでした。植民都市とは、帝国内の治安維持の要である軍事都市としての意味もあったようです。また、近くにあった金鉱山のために、この都市は繁栄し、ローマのミニチュアのような都市構造をもっていたようです。「ここは小ローマといわれるほど、あらゆる民族の集まっているところです。ある意味で、こんなに伝道に有利なところはありません。」[9] この町でパウロたちは数日間滞在しました。おそらく、ユダヤ人の会堂がなかったためでしょうか、一行は安息日にユダヤ人が集まりをもつ川辺に行ったのです。「彼らは、安息日が来てユダヤ人の礼拝の場所に行くまでは伝道活動を開始しなかった。」[10] そこでは川辺に婦人たちだけが座っていました。正式なユダヤ会堂は10人以上の男性信者がいないと成立しませんでした。ですから、ここは単なる祈りの場だったのです。記者のルカも女性たちと会話しています。これは婦人と会話することを禁じたユダヤ教の戒めを無視する行為でした。ですが、14節にはパウロが集まった婦人たちに福音の説教をしたことが書かれています。福音は、人種とか性別の規制を除いたという一例でしょう。その際に、「主が心を開かれたので」リディアという夫人はパウロの話を注意深く聞いたとあります。リディアの出身はティアティラというアジア州の都市でした。その彼女が福音に心をひかれたのです。「パウロのメッセージは、イエスにあってメシア到来の預言が実現したということであった。」[11] 教会の説教の場合でもそうですが、神の導きがなくては福音が心に定着することは難しいものです。リディアの場合、彼女が紫布を商う商人であったことは、彼女がかなり裕福な人物であったことが推測されます。当時は、紫布は高価なもので上流階級の人々だけが買うことができたからです。15節では、この説教の後で、彼女と家族の者も洗礼を受けたとあります。昔の社会では、こうした共同性が強くあったのでしょう。「パウロは、家族の自然のきずなを神のたてたものとして尊重した。」[12] つまり、リディアが家の主人であったのでその信仰によって家族全員に洗礼を授けたのです。その彼女が、一行を家に招待し、半ば無理やりのかたちで泊まらせました。その気持ちには、パウロたちの伝道を財政的に支援したいとの思いがあったことでしょう(フィリピ4:15以下参照)。こうして、リディアの家が「家の教会」になったことが推測されます。

この場合には違った問題もあがっています。祈りの場所に行く途中に占いの霊にとりつかれている女奴隷にあったと16節にあります。それがどんな状態だったかは不明です。一種の霊媒だったと考えられます。しかし、これは特別なことではなく、福音宣教の際に悪霊に悩まされているものとの出会いがうまれることがあります。この女奴隷の場合は、狂人だったわけではなく、将来を予測することで商売人たちの便宜をはかっていたのです。見返りとしての報酬も受けていたことでしょう。ですから、悪い霊であっても神秘的な力を発揮できることを聖書は否定してはいません。本人は、自分の能力に酔っていたのでしょうが、聖書の記者は冷静な目で、彼女は悪霊に取りつかれていたと記述しています。わたしたちはどうでしょうか。ルターが言ったように、わたしたちは神の霊かこの世の霊が乗っている馬のようなものです。自分で自由にやっていると思い込んでいるだけで、実は支配されていないでしょうか。この点を皆で考えてみましょう。

17節には、この女奴隷の行為が書かれています。福音宣教者に出会って、あたかも霊に取りつかれた者がイエス様に向かって叫んだように(ルカ4:34参照)、パウロたちの事を人々に知らせたのです。それは敬意を持った宣言ではなく「彼らの潜在的な優位性を誇る手段でもあった。」[13] そこの文面だけを見ますと、特に悪いことはないようです。それにパウロたちが、いとたかき神の僕であって救いの道を宣べ伝えていることは事実でした。それは、それでよかったのですが、何しろ彼女に取りついている霊がなす業ですから、パウロたちが頼んでいるのでもないのに何日間も叫び続けたのです。「わたしたちの中には、この女のように、神の存在は認め、そこにある救いについても認めながらも、自分はいっこうに信じ受け入れようとしない人がいないでしょうか。」[14] 最初は、忍耐していたパウロですが、ついに忍耐にも限界が来て18節にあるように、霊に向かって「この女から出ていけ」とイエス・キリストの名によって命じました。イエス様が預言していたように、使徒たちは悪霊を追い出す力を授かっていたのです。現代の宣教においてもこれは重要なことでしょう。悪霊を退散させることなくして、宣教は進んでいかないでしょう。「そこで12人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。」(マルコ3:14-15)

[1] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、321頁

[2] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、227頁

[3] 尾山令仁、「使徒の働き下」、羊群社、1980年、42頁

[4] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、327頁

[5]  シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、212頁

[6] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、229頁

[7] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、213頁

[8] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、155頁

[9] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、232頁

[10] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、266頁

[11] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、267頁

[12] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、215頁

[13] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、269頁

[14] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き下」、74頁

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