ドイツのメルケル首相は在任16年という長い間、政治の重責を負ってきた。イギリスのサッチャー首相の時のように、一般人の視点では「鉄の女」のように見えることもあった。しかし、彼女のたどってきた道を回顧してみると、その印象はガラリと変わる。そして、その頂点は、退任の時の儀式で選んだ曲だった。三曲選んだなかで、一曲は伝統的な讃美歌だった。ドイツが分割されていた時代に、東ドイツに移住した牧師の娘として育った彼女の価値観を反映していると思う。しかし、あとの二曲は彼女が若いころに東西ドイツで流行したパンクロックだった。鉄の女の印象は、ガラガラと崩れた。それだけではない。なんと、退任式で「カラーフィルムを忘れたのね」という東ドイツで爆発的な人気をもたらしたニナ・ハーゲンの曲を聴いている時には、眼に涙を浮かべさえしていたのだ。強い政治姿勢を崩さなかった彼女に、こんな柔軟性があったのかと感動してしまう場面だった。そして、彼女は「カラーフィルムを忘れたのね」という曲は自分の人生のハイライトだったと言った。共産主義という名目の独裁政治下で、自由を失った民衆は、この歌にささやかな反抗精神をこめたそうだ。毎日が、白と黒だけの灰色の世界になっていたから、それに対する怒りが込められた歌でもあった。しかし、政治色はまったくなかったので、検閲を免れたらしい。メルケル首相の学生時代は灰色だったが、カラーのある社会、自由な社会への熱望は持っていた。そして、民衆の運動によって東西ドイツを隔てる壁は崩された。運動の中心になっていたのは教会だったとも言われている。それは、独裁政治下で集会が許されている数少ない場所の一つだったからだ。メルケル首相の父親はドイツ福音派系の教会の牧師だったそうであるが、それも、もともとはルーテル教会であり、ルターの信仰観を反映するものであったと思う。ここで、ルターの神学を凝縮して考えるならば、それは「人間は自分の行いによってではなく、神の恩恵に対する信仰によって救われる」という事になると思う。これはキリスト教について知っている人でなければ分かりにくい理屈でもある。そこで、神を愛に置き換え、信仰を確信に置き換え、救いを自由に置き換えると、「人間は自己中心の独善ではなく、宇宙に存在する絶対愛に対する揺るがない確信によって自由とされる」となる。そのような信念のないロシアなどでは、政治家の独善によって民衆が自由を失っている状態が続いている。しかし、こんな前近代的な状態がいつまでも続くわけがない。いま、ウクライナを侵略して非人道的な暴挙のかぎりをつくしているロシアにも、ロシア人による新しい「カラーフィルムを忘れたのね」という曲が流行し、人々は人権や世界の人々の平和共存を学ぶことになるだろう。そう信じたい。