ある旅行雑誌をみていたら、神社とお寺の違いについて書かれた記事がありました。勿論、わたしは宗教学の専門家ではありません。しかし、この記事は某有名ミッション系大学の前教授が書いたものでした。しかし、素人のわたしにもわかるくらいに、内容があまりにもオソマツなので驚愕しました。おそらく、現代の日本の宗教学のレベルはこのくらいなのかもしれません。大雑把に言えば、この教授の言っていることは、神道は自然崇拝のアニミズムであって、仏教は釈尊の教えを表現したものだということです。そして、拝礼の仕方は拍手をするかしないかの違いだと言います。そして、最後に、日本は宗教に寛容なので神社とお寺を信仰の拠点としてもおかしくないと述べていました。詳しくは書けませんが、神道と仏教の大きな違いは、組織的な経典が存在しない神道と、多くの仏典が存在する仏教だという事です。さらに、救済観も全く違います。神道には「悟り」とか「成仏」という概念はなく、浄と不浄という概念だけが存在します。仏教の考えでは、人間は煩悩(罪?)に囚われているので、そこから解脱(げだつ)することが必要だと教えます。この解脱には、自力でするのか他力(阿弥陀仏の助け)によるのかの方法の違いがあり、それによって、真言宗や禅宗、浄土真宗などに別れているのです。某有名ミッション系大学の前教授は、お寺にはどこにでも仏像が置いてあるようなことを書いていましたが、それは間違いです。日蓮宗の開祖である、日蓮はお題目という経典を信じたのであって、木で作った仏像などは偶像として排斥しました。ですから、日蓮系のお寺の御本尊は仏像ではなく、紙に書かれたお題目であるはずです。これは聖書という経典を信じるキリスト教に似ています。ちなみに、内村鑑三氏は、日蓮を尊敬していました。それにしても、お寺と神社は根本的に違うものです。それを、同じように考える学者や、一般の人々の影響で、カルトなど前近代的な新興宗教がこの国にはいつまでも生息できているのだと思います。