ネットで台湾の九份の画像を見ました。ここは昔、金の採掘でにぎわった町だそうです。いわばゴールドラッシュの町ですね。金も出なくなり廃坑されたあと、町は廃れましたが、ここを舞台とした「非情城市」という映画のおかげで賑わいが戻りました。また、「千と千尋の神隠し」の舞台にも似ているという事でも人気があります。わたしも何年か前に行ったことがあります。赤い提灯が照らす石畳の小道は、なにか昔の日本を思いださせる風情があります。そして、それは事実であり、古き良き日本の面影を残しているのです。何故なら、台湾は50年近く日本領だったからです。中国本土と比べると、台湾の家屋は、日中合作の様にみえます。それだけでなく、台湾自体がふるい日本の文化を残しているのです。これは、語学の場合には特に顕著です。例えば英語です。現代のわたしたちは、英国の英語が本家本元の様に思い、アメリカ英語を下に見たりする場合があります。これは文化的には誤りです。数百年前に清教徒たちがイギリスから自由を求めてアメリカに移住して以来、アメリカの英語は、当時の形式を残してきました。そして、文化というものは、本国から隔離されると、アイデンティティー維持のために、当時の形式を保持する傾向があります。たとえば、PARK(公園)という単語にはR音がありますから、アメリカではいまでもR音を入れて発音します。ところが、本国のイギリスでは昔の方法は衰退し、現在の人々はR音をいれないで発音します。ですから、どちらが正統派かと尋ねれば、それはアメリカの英語なのです。同じことを、アメリカ留学中に体験しました。当時のアメリカにはまだ二世の日系人がいました。親が日本から移民してきたわけですが、二世の人たちはアメリカ人として育ちました。しかし、親から受け継いだ日本文化は残していました。彼らと話すと、昔の日本語はこんなにも美しく丁寧だったのだと気付かされます。やはり、本国から隔離された集団は、アイデンティティー維持のために、古い様式を残すのです。聖書にも同じことが書かれています。紀元前586年に敵国バビロニアに捕囚されたイスラエルの人々は、紀元前538年に解放されて帰国するまでに、50年近くの年月を外国で過ごしたわけです。しかし、荒廃した国土に、純粋な信仰の伝統を持ち帰ったのはバビロン捕囚された人々でした。今日のわたしたちに聖書という貴重な文献が残されているのも、バビロン捕囚のおかげかもしれません。同じように、古い日本情緒に触れたかったら、台湾へ旅行するのも間違いではないでしょう。