檀家制度と教会制度の問題点
2020/06/22
以前に、なぜこのインターネット教会を立ち上げたのか書きましょうと言ったことがあります。目的は別にあるのですが、今日はその決定的なきっかけについて書きたいと思います。キリスト教の教会なのですが、きっかけは友人の仏教の僧侶です。彼の名前は田口学法(たぐちがくほう)さんといって、わたしが大分県の別府ルーテル教会に在職していた40年ぐらい前に知り合いになった方です。年齢はわたしより何歳か若かったと思います。そのころ、学法さんが教会に遊びに来てくれたり、わたしたちが学法さんのお寺に遊びに行ったりして楽しく交流できていました。その当時の学法さんのお寺は御長男が引き継いだようですが、学法さんは何とインターネット寺を20年くらい前に創設したのです。(現在では大分県の日出という場所に立派なお寺もできています。)その学法さんのお寺の創設の趣旨を彼のホームページからここにコピーしておきます。詳しくは、「大法輪寺」で検索してみてください。学法さんはこう書いています。「檀家制度の上にあぐらをかき、葬式仏教と言われる今の仏教・寺の在り方に疑問を持ちませんか? 葬儀費用が高い、寄付を度々要求される、説教・法話ができない等々。釈迦・宗祖・開祖が命がけで法・真理を弘められたのはいったい何だったのか。宗祖・開祖の名をかたり自らの生活の安定を計る為の手段であって良いのだろうか。」つまり、彼は、組織維持のための檀家制度に疑問を持ったのです。現在の日本の諸キリスト教会も同じような問題をかかえているとわたしには感じられます。特に海外の大規模な教会を見て知っていると、日本の教会は、比喩的に言えば、まだヨチヨチ歩きの幼子に米をしょわせて「歩けた、歩けた」と喜ぶ親に似ているのではないでしょうか。小さな小さな、「教会」という組織を維持するために、牧師給与や、教会堂建設のローン、あるいは様々な活動部会の責任者をになっていかなければならないのです。日曜日は、もともとユダヤ人が守ってきた安息日ではなく、過重労働日となってしまいます。また、牧師の家の子供として生まれた我が家の息子たちは、日曜日にサッカーの試合に行けなかったのがつらかったと述懐しています。これを批判しているわけではありません。日本は日本ですから「外来宗教」みたいなキリスト教は肩を狭めて社会のスキマに生きていくしかないのかもしれません。でも、イエス・キリストが教えた喜びの生き方はどこにいってしまうのでしょう。パウロが生きていたらどうするでしょうか。無理なく、多くの日本の人に、福音(英語ではグッドニュース、ギリシア語ではエバンゲリオン)の良さを知ってほしいなと思い続けてきた結果が、このインターネット教会だったのです。パウロは、固定した教会の牧師だったわけではなく、手紙という手段で多くの教会や多くの信徒を遠方から支援しました。現代ではインターネットが手段であるべきではないでしょうか。キリスト教神学で、教会の定義は「み言葉と聖礼典の執行」にあると教えられています。しかし、決定的なのは、そこに、「教会の建物という物理的な存在」は入ってこないのです。印西市周辺には、その昔、ロシアの宣教師ニコライが伝道した足跡が残っています。「ニコライの日記」は3巻出版されていますから、興味ある方はごらんください。読むと、彼が一人で悩みながら伝道した姿が彷彿させられます。彼は東日本大震災で大きな被害を受けた東北の沿岸地域の村々を中心に伝道したのですが、それは現代の教会の姿とはちがいます。教会という建物や常駐の牧師がいなかったのです。それでも教会でした。ニコライはたまに信仰者の集団を訪問して聖餐式や洗礼式を行っていましたから「聖礼典」はあったわけですし、聖書を教えていましたから「み言葉」もあったわけです。ニコライが江戸時代末期に日本に赴任し、3万人以上の人々に伝道し、死んで谷中墓地に埋葬されてからすでに100年以上になります。わたし自身は田口学法さんから学び、また伝統的な「教会論」に縛られない伝道手段があっても良いと考えるに至ったわけです。二千年前にパウロもこう書いています、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(テモテへの第二の手紙4章2節)彼は、教会という組織や建物をつくりなさいとは言っていませんね。次に機会があれば、インターネットまで使ってエバンゲリオン(元来は戦勝の喜びの知らせ)を伝えたいと、わたしが切に思う理由は何なのかをお伝えしたいと思います。