閑話休題

印西インターネット教会が二周年を迎えました。

この教会は、2020年の5月30日に開設されました。前にも書いたと思いますが、それまで40年間ほどルーテル教会の牧師として働いてきて、伝道という事の効率の悪さを痛感してきました。地方の教会では、礼拝出席者が30名から40名程度ですが、その中から福音を信じて洗礼を受ける人は数人にすぎません。すでに教会員になっている人々も、家族や知人に福音を伝えたいという気持ちはあるのですが、実際にどうしたらよいのかは、専門家ではないのでわかりません。そんなわけで、日本の教会は、伝道と言っても、同じメンバーの人々が同じように日曜日に集まっているにすぎません。そんな日常の中に、非日常が起こったのです。2020年には、コロナのために多くの集会や、会食や、人の集まりが不可能になりました。教会も同じです。そんな時に、わたしは二千年前のパウロの時代の事を考えました。当時は、教会堂もなく、街を歩けば迫害が心配であり、礼拝も隠れてするしかなかったはずです。それでもキリスト教はひろがっていきました。何故かというと、メッセージが伝えられたからです。そのためにも、パウロはたくさんの書簡を残しました。そして、それらの書簡は、既に存在していた旧約聖書の解説であり、当時の社会状況にたいする応用だったのです。これなら、コロナ禍においてもできると思いました。パウロの時代から既に二千年たっていますので、パウロのメッセージも現代にあわせて、解説する必要がります。これは、医学と同じで、専門教育を受けていなければ難しい問題です。ただ、反面として、伝道は知的な問題だけではありません。神を信じる人の無私の行為が、人を導くこともあります。ただ、それにはものすごい時間と努力が必要です。さらに、キリスト教が避けている自己義認(良い人になろうとする自己努力)に陥る危険性もないではありません。キリスト教の基本は、やはり、人の行為に先立つ神のみ言葉なのです。そして、神のみ言葉を理解することが、救いに至らせるのです。少なくとも、ルターや、アウグスチヌスの場合はそうでした。ですから、わたしもこの二年間、キリスト教の神学を知らない多くの日本人に、できるだけ理解しやすいかたちで、福音のメッセージを届けてきました。明治時代に日本に初めて来たプロテスタントの宣教師たちは、日本に土着している神道や仏教を否定することから始めました。ところがどうでしょうか、戦国時代に到来したザビエルなどのカトリックの宣教師たちは、日本の文化を宣教に取り入れようと苦心しました。茶道の千利休はクリスチャンでしたし、茶道自体にも聖餐式の要素が組み込まれています。明治時代のクリスチャンでした内村鑑三は外国の宣教師の事をあまりよく思っておらず、尊敬する日本人として、仏教の日蓮などの名前をあげています。この点は、わたしも同感です。神が創造されたさまざまな社会の中で、文化を否定するのではなく、その文化の中にある貴重なものを生かしていくことが大切だと思います。この点についてパウロはこのように書いています。「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。」(フィリピ信徒への手紙4章8節)この点では、内村鑑三は佐渡に島流しにされた時に示された、日蓮の不動の信仰観を知っていたのでしょう。まさに特に値することです。大分県の教会で働いていたころ、禅海和尚が開通させた青の洞門を見たことがありますが、あれも称賛に値することだと思います。そういうわけで、日本文化の中で、日本人に理解しやすい形で聖書の言葉を多くの人に伝え、様々な困難に押しつぶされ、生きる希望を失っている人に元気になっていただきたいというのが、印西インターネット教会の趣旨です。それは、わたし自身も聖書の言葉によって生きる希望を与えられてきたからです。(僭越な言い方をゆるしていただくならば、いわば、神様に対する恩返しみたいなものです。)この教会は、維持費もかかりませんし、出入りも自由です。二年間して、訪問者一万名、アクセス3万件となりました。今後も宜しくお願い致します。

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