地球外生命起源を示唆する「りゅうぐう」
宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機「はやぶさ2」が小惑星「りゅうぐう」で採取し、地球に持ち帰った砂から、生命体を形成するたんぱく質の材料となるアミノ酸が20種類以上見つかりました。このアミノ酸というのは有機物です。無機物で占められているように見える宇宙で、わたしたちの体や他の地上の生命体を構成している有機物が発見されたことは興味深いことです。もう、20年くらい前のことですが、日本福音ルーテル教会を出て、他の教団に移籍しようかと思ったことがありました。しかし、その教団は逐語霊感説(聖書の言葉を一語一語、神の言葉として忠実に信じる主義)を取っていたので、自分には無理だと思いました。それによれば、天地創造は実際に7日間でできたと信じなければなりません。この逐語霊感説は、聖書が古代の記録であり、時代的な世界観の制約を受けていることを無視しています。例えば、列王記などに出て来る戦闘の場面に、「敵をせん滅せよ」と書いてあったとしても、それを文字通りに信じることは危険です。同じようなことが中世でも起こりました。天動説と地動説です。当時のカトリック教会は、地球の周りに太陽が回転していると信じていました。それ以外の考えは異端でした。ですから、コペルニクスが地動説を唱えた時には、裁判にかけられたわけです。もし、逐語霊感説の人々が中世のカトリック教会の様に政治を左右する権力を握れば、科学者は弾圧される可能性が大きいでしょう。それはそうとして、聖書が書かれた時代には、すべてが地球的視点から考えられていました。それだけでなく、近年まで、宇宙探査は月や火星などの地球に近い天体に限られていました。ところが、それより遙か彼方を運行している小惑星から砂のサンプルが持ち帰られたのです。それだけではなく、その砂の中にアミノ酸が20種類以上見つかった訳です。これは、生命の起源が地球外にあったことを示しているように思われます。わたしが子供の頃は、ダーウィンの進化論(機械的進化論とも呼ばれる)が全盛時代で、太古の地球で雷の稲光かなにかで合成された有機物がアメーバに変わり、アメーバが進化して人間になったと教えられていたものです。それから、何十年も有能な科学者たちが、試験管内で無機物から有機物をつくる実験をしました。しかし、いまだに成功した人はいません。やはり、生命の起源となる有機物は宇宙の彼方から飛来したのでしょう。ここでも、地球起源説と、宇宙起源説に分かれるところです。最後に、逐語霊感説ではなく聖書の伝えると生命起源を見てみると、「主なる神は土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2章7節)と書かれています。ここに示されている「土の塵」(アダマ)を宇宙の塵と解釈すれば、現代のわたしたちにも納得のいくことです。そして、最初の人間の名前は塵(アダマ)からできたのでアダムとなったのです。冗談みたいになってしまいますが、旧約聖書が書かれている言語であるヘブライ語では、末尾のM音が複数形をしまします。ですから、人間はチリチリ(塵塵)なわけです(笑)。それだけではありません、キリスト教の葬儀では、死者との最後の別れに「塵を塵にかえす」という表現が用いられます。今回、これも天地創造の神秘にかなった表現だと思いました。「りゅうぐう」から探査機が持ち帰った砂は、地上の小さな生命体「チリチリ」であるわたしたち自身にも、深く関係することです。コロナ禍で他者との関係が疎遠になって寂しい昨今ですが、視点を膨大な宇宙に移してみると、わたしたちは神様が命を与えてくださった楽しい「チリチリ」の集合体であり、この地上の生命が終わっても、永遠の中に生かされている存在なのだとわかりますね。