印西インターネット教会

ジェセル王の階段式ピラミッドとユダヤ人の祈祷書

もうだいぶ前のことですが、エジプトのギザのピラミッドを訪問した際に、ナイル川をさらに遡ってサッカラという町にあるジェセル王の階段式ピラミッドを見たことがあります。これは、いまから4700年くらい前に建造されたピラミッドです。これはエジプトで初めて石で建造された巨大建築物として知られています。誰でも知っているギザの三大ピラミッドは、このジェセル王の階段式ピラミッドの100年後に完成されたものです。その意味では、後代のピラミッド文化に影響を与えた画期的な建造物として知られています。ただ、それだけではありません。ジェセル王は王の死と再生という儀式を行ったことでも知られています。その祭儀はセド祭と呼ばれました。ウィキペディアには、「超越的な力の維持と保持のために行われるセド祭は、王の肉体的・魔術的力の復活を祈願する走行儀式であるが、「形式的な王の死」という王殺しを備えた神事であり王の再生復活を表現した、死と再生を表す神事でもあった」と書かれています。ここで、注目すべきは、王の死と復活でしょう。聖書には、ユダヤ人がエジプトに住んでいたことが記録されていますし、「出エジプト」の際に起こった出来事が、過越祭の起源になっています。そして、過越祭は王なるイエス・キリストの死と復活の原点になっています。偶然の一致なのかもしれませんが、ユダヤ人の祈祷書はSIDDURと呼ばれ、日本語で言えばセドになります。わたしたちには計り知れない世界ですが、神様がさまざまな文化を通して、人類に死と復活の真理を示しているように思いました。コロナ禍での死、あるいはウクライナ戦争での死というものも、それが終わりではないように思えてきます。イエス・キリストも「一粒の麦種地に落ちて死なずば、如何で多くの麦生い出でん。」(木下尚江訳、ヨハネ福音書12章24節)と語りました。この死と復活こそ、キリスト教の中心思想であり、洗礼はそれを儀式的にg表現したものです。デジタル的な説明をすれば、原罪によって狂った心のプログラミング(ロゴス)を修正しようと無駄な努力をするのではなく、一旦死んで(プログラムを初期化し)新しい愛と命を志向するプログラムをインストールすることです。ですから、死と復活は、現代でも大いに意義ある宇宙的真理だと思います。さらに言えば、黙示録に書いてある「終末」も死と復活の原理を示唆したものです。

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