死についての考察3
自然死は別として、その他の死には、自殺(SUICIDE)、他殺(HOMOCIDE)、そして大量殺人(GENOCIDE)などがあります。最初の自殺に関してですが、日本は世界の中でも自殺者が多い国です。年間2万から3万人の方々が自ら命を絶っています。こうした自殺の要因は様々だと思います。ただそこに共通するのは、何か自分にとって大切なものを失ったという喪失感ではないでしょうか。この喪失感によって、わたしたちは意気消沈します。過去はもう戻ってこないのです。しかし、いつまでも意気消沈しているわけではなく、そこには自分自身に対する慟哭や怒りが生じます。自分が生きていること自体が許されないのです。そしてそれは、SUI(自分自身)の抹殺に向かわしめるのです。逆に、自分を不幸のどん底に落とし込めた他者がいる場合には、その怒りは他者に向かい、HOMO(人)殺しとなります。どちらにも共通するのは怒りです。そして、怒りとは、自分の中に構築された倫理基準(律法とも言い換えられる)、これから逸脱しているからです。イエス・キリストが人々の怒りを買って十字架刑をうけたのも同じでしょう。彼の行動や言動が、当時のユダヤ人社会の行動規範にあわなかったからです。これが民族単位で起こってくると、GENO(民族)殺人となります。それにしても、私たち人間は、神の自由の領域であるエデンの園をでてから、さまざまな規律や律法を構築して、自他に対する憎しみや怒りを生んでいます。ですから、自殺予防とは、怒りや憎しみの予防であり、怒りや憎しみを生む律法構造の廃棄です。そして、イエス様が教えたように、唯一の律法とは愛なのです。事故に対する愛、他者に対する愛が圧倒的な力を持つときには、殺人は生じません。