反社会的宗教団体への法規制について
フランスでは、反社会的宗教団体への法規制が以前から施行されています。以前に読んだ記憶なので確かではありませんが、この規制では、カルトの特徴を10項目あげています。その一つに、「公権力への浸透の企て」というものをあげています。ですから、創価学会などもこの法規制に抵触するそうです。幸福の科学なども宗教をベースに「公権力への浸透の企て」を行っています。そういえば、オウム真理教も政治活動をしたことがありました。麻原彰晃氏のハリボテがとても不気味でした。今回の安倍元首相の銃殺事件も、もともとは元統一教会のカルト活動が原因であり、それに安倍氏が無批判に接触したことがああした悲惨な結果となってしまったわけです。フランスのように、法規制を徹底し、カルト的宗教団体が公権力と接点を持つことを禁止していたら、このような参事はなかったでしょう。それにしても、日本社会は、かなりいががわしい宗教でも野放しにしています。なぜでしょう。それは、仏教や神道、そしてキリスト教などの既成宗教が堕落しているからだと思います。わたしはルーテル教会の牧師として、この点をずっと疑問に思ってきました。ルーテル教会ではフランスの10項目に抵触するようなことはみられません。しかし、宗教の根幹を問う総会に出てみればわかりますが、そこでは聖書真理の現実課題への敷衍などというテーマは皆無です。すくなくともわたしが現役牧師であった40年間には見たこともきいたこともありません。オウムの問題があったときにも、それに触れるような議題はありませんでした。その反面、牧師や信徒代議員たちが熱心に討議していたのは、金の分配についてです。たとえそれが、牧師退職金や、青年育成期資金だとしても、すべてが金であり、これは宗教資本主義としか言えないものです。ルーテル教会はいわばプロテスタント神学の老舗です。しかし、老舗にしてこのていたらくです。あとは推して知るべしということでしょう。これは、マクロな面ですが、ミクロな各個教会をみても、かつての宣教師たちが伝道のために設立した幼稚園や保育園、そして社会福祉施設などをみると、ここにも宗教資本主義が見られます。最悪の場合には、牧師給を受けながら園長給をもらい、さらに妻が主任だったりして、収入を増加させています。さすがに反社会的ではないので、フランスの法規制には抵触しません。ただ、広島教会の地下に中国電力の変電所を作り、借地料金でその上に貸しビルを建て、教会と保育園もそこにいれる計画が出た時には臨時総会が開かれ、賛否両論にわかれました。その中で、誰も変電所がだす電磁波の危険性を訴えなかったのも疑問です。しかし、ここでも宗教資本主義が大多数を占め、ビル建設が可決されました。カルトの底流にあるのが金銭や権力だとすれば、現在の既成宗教にはそれを軌道修正する力はないでしょう。同じ傾向を持っているからです。印西インターネット教会はこれに疑問を持っています。現在の教会に関して言えば、お金がない人、健康でない人、時間のない人は教会にいけません。おそらく、宗教を本当に必要としているのは、そういう人だと思うのですが、宗教資本主義のために、献金をする経済的余裕のある人、日曜日には礼拝に行く時間がある人、教会の様々な活動に参加できる健康状態の人だけが教会に行きやすいのです。それは、もはや社会思想に影響を与える先進的な集団ではなく、暇人の社交クラブに成り下がっているのです。だから、反社会的なカルト宗教のウソも告発できなくなってしまったのです。嘆かわしいことです。神道はわかりませんが、仏教でも、親鸞や日蓮、道元などの開祖の姿勢に戻ったら、邪教を見破ることができるのではないでしょうか。ただ、先の、広島教会のビル建設問題に関しての臨時総会でわたしはルターが金銭中心主義に反対している文章を引用して意見を述べたら、神学校に先生から反論されました。ルーテル教会も、仏教と大同小異で、開祖者の命を懸けた審理の追及はもうみられません。ただ、これを読んでくださっている方々が、真実の宗教を求めてくだされば、いままでの失敗も無駄ではなかったのかもしれません。日本でも、フランスの様に、1精神を不安定にする宗教、2法外な金銭要求をする宗教、3元の生活から引き離す宗教、4身体に危害を加える宗教、5子供への強制的な入信を強いる宗教、6反社会的な説教をする宗教、7公共の秩序を乱す宗教、8重大な訴訟問題を起こす宗教、9高額な物品販売などをする宗教、10公権力への浸透を企てる宗教、それらに厳しい目を向けるべきだと思います。