テレビで「認知度調査」という番組を見ました。芸能人の認知度から、昭和の時代の社会事情まで扱っていて興味深かったです。特に若い世代の人たちは、映画館で同じ映画を何度見てもよかったことを知らず、とても驚いていました。そういえば確かにそうでした。たとえば池袋には文芸座という映画館があって、時には一晩中「ヤクザ映画」などを上映していたことがありました。終電に乗れなかった人が、映画館で一泊することなどもあった時代でした。振り返ってみれば、昭和というのは活気があったけれども、現在のように規制が多くはなく、「ユルイ」時代でした。食品などにも、製造年月日だけが記載されていて、賞味期限は書いてないので、自分で確かめてみるという状態でした。十年ほど前の中国なども同じような「ユルイ」社会でした。そのときすでに昭和は終わっていましたが、現地で中国女性と結婚した人が、奥さんと暮らしていると昭和の時代を思い出すと言っていたことが忘れられません。たぶん、いまもアジアの新興国に行ってみれば、昭和の雰囲気が感じられるのではないでしょうか。ところで、聖書には、時代の経過を記載した珍しい場面があります。それは、紀元前538年にバビロン捕囚から解放され、帰国した人々の記録として残されています。帰国した彼らがまず行ったのはエルサレムの神殿の再建でした。「昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちはこの神殿の基礎が据えられるのを見て大声をあげて泣き、また多くの者が喜びの叫び声をあげた。人々は喜びの叫び声と民の泣く声を識別することができなかった。」(エズラ記3章12節以下)祭司たちは、古代の七不思議ともいわれた以前の壮大な神殿を覚えていましたから、約50年の捕囚期間を経ても彼らの認知度は弱まらなかったことがわかります。衛生状態の悪い紀元前の社会でも、ユダヤ人の中には長命だった者がいたことに驚かされます。そして、祭司たちは、昔を思い出して涙をこらえきれなかったのです。これは、以前の神殿と、捕囚後の彼らが瓦礫を集めて再建した小規模な神殿とのあまりの格差に胸を痛めたからだと思われます。それにしても、それから約五百年後に、外側の神殿ではなく、心の神殿の重要性を教えたイエス・キリストが登場するとは、誰が予想したでしょうか。普通の人には認知できなかったことでしょう。日本のわたしたちでも、「ユルイ」かわりに規制が少なく、働けば給与も上がり、人々の暮らしも明るかった昭和の頃を思い出すと、いくらか胸の痛みを覚えるのではないでしょうか。そういえば、昭和の繁栄を築いた人々も、捕囚からの帰還者ではないにしても、戦地から復員した人々と、やっと国内で生き延びた人々でした。