最近の調査で、イーロン・マスク氏が富豪ナンバーワンになったことがわかりました。そして、その額は小さな国の国家予算にも匹敵する46兆円ということでした。100万円の札束の厚さは1センチくらいですから、それを重ねたら460キロの厚さになります。東京と大阪の間を一万円の札束で埋めることのできる金額です。そこに見られるのは、資本主義のもたらす不平等性です。地球上の貧しい地域では数十円で生きるか死ぬかの暮らしをしている人が存在する一方で、金銭を持て余している人がいます。ある経済学者が書いた本の中に、共産主義の失敗によって、競争相手を気にしなくてよくなった資本主義はイギリスの産業革命当時のように悪質になってきている、と書かれていました。イーロン・マスク氏は氷山の一角にすぎず、多くの金持ちは政治を支配し、貧しい人々はさらに貧しくなってきます。旧約聖書の時代にもそうした社会の弊害はありました。ところが、神の啓示によってヨベルの年が決められ、50年に一度は、奴隷が解放され、借金が帳消しになるという規則が作られました。「この50年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。」(レビ記25章10節)ただし、この規則が厳密に施行されたかは疑問です。イエス様の時代にも貧富の差は歴然として残っていました。ですから、新約聖書には金持ちに対する警告が書かれています。「はっきり言っておくが、金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが天の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(マタイ福音書19勝3節以下)「しかし、富んでいるあなたがたは不幸である。あなたがたはもう慰めを受けている。」(ルカ福音書6章24節)「金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害ななまざまな欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。」(第一テモテ6章9節以下)そして黙示録には、そうした資本主義の結末が書かれています。「あなたは『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要なものはない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。」(ヨハネの黙示録3章17節)つまり、悔い改めることなくそうした自分勝手な生活を続けるならば、神に裁かれるということです。ですから、意外なことに、イーロン・マスク氏も、聖書によれば、「惨めな者、哀れな者、貧しい者」なのです。わたしたちもこうした視点を失わないようにしたいものですね。