ご神木騒動
東京都八王子市の北野にある天満社のご神木が道路にはみ出して危険な状態になっているということで行政代執行をうけて、越境している部分は伐採されました。宮司側は「ご神木が枯れたらどうするんですか」と抗議したそうです。皆さんはどう思いますか。実は、この北野地域はわたしが今年の3月まで働いた八王子ルーテル教会の近くであり、天満社わきの国道16号線はよく車で通過したものです。この事件が起こるまで、八王子に10数年住んでいても北野町がなんで北野なのか全く考えたことがありませんでした。あれは、京都の北野天満宮を勧進したものなので、地名も北野になったのですね。それはともかく、ご神木伐採に似た話を広島の西条のルーテル教会でインターン研修をした時に聞いたことがあります。なんでも、畑の農道のまんなかに大きな木が生えていて通行の邪魔になっていたそうです。しかし、これはご神木とみなされていて、切ることができない。切ったら祟りがあると信じられていたわけです。そんな西条に、戦後、アメリカからキリスト教の陽気な宣教師が来たわけです。きっと、これはいい機会だと村人は思ったのでしょう。ある日、村の代表者が宣教師の家を訪ね、農道の木を切ってくれないだろうかと頼んだわけです。祟りだとか、ご神木だとかは信じない宣教師は二つ返事でOKをだし、次の日に大きなノコギリを担いで畑に行き、くだんの「ご神木」をものの見事に伐採してしまったのです。この宣教師は故ジョージ・オルソン先生で、わたしがアメリカの神学校に行った時にはそこの教授になっていました。彼は知っていたのだと思います。日本人の心も、また世界の歴史の中に存在したアニミズムということも。ちなみに、アニミズムとは、自然界のすべての事物に霊魂が宿るという原始宗教です。お札やお守り、御朱印信仰なども一種のアニミズムです。数千年前にヨーロッパのケルト文化のアニミズムがキリスト教の布教した創造神の信仰によって消滅したのに、日本ではまだ根強く残っているのです。ですから、行政代執行のさいに、天満社の宮司が、「ご神木が枯れたらどうするんですか」と鋭く問い詰めたのも、このアニミズム信仰からきているものです。その原始宗教に対する答えは、今から3千年ほど前に書かれた旧約聖書に載っています。「木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め、一部を燃やしてパンを焼き、その木で神を造ってそれにひれ伏し、木造に仕立ててそれを拝むのか。(中略)彼らは悟ることもなく、理解することもない。」(イザヤ書44章15節以下)また、ギリシアのアレオパゴスの丘で使徒パウロはアニミズム信仰を持つ人々に言いました、「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。」(使徒言行録17章23節以下参照)実は、こうしたアニミズムにも神聖な思いはあるし、宮司も「不敬虔な」行政執行に憤りを覚えたにちがいないのです。しかし、聖書ではアニミズムの産物が、農道の木であろうと、巨大な岩であろうと、それを拝んだり必要以上に大切にすることを偶像礼拝(英語ではアイドル・ワーシップ)と定義しています。信じている本人は、古代のヨーロッパであろうと、アマゾンの原住民であろうと、現代の日本人であろうと、極めて厳かで真面目な気持ちなのですが、じつは、この偶像礼拝こそ人間に神が与えた自由を奪う元凶なのです。本当の神とは、交通妨害したりしません。神は愛であり、命であり、光だからです。迫りくる死の暗闇におびえる人類に幸せと勇気を与える宇宙的存在です。北野町の宮司の人もきっと残念な思いでしょうけれども、そのご神木が本当にご神木なら、切られた枝一本でも、神であるはずです。その枝を拾って御本尊として納めれば問題ないはずでしょう。神には不可能なことはないと、聖書にも書いてあります。