人間に従うか神に従うかで変わる人生の岐路について学ぶ
使徒言行録27章21節-44節 文責 中川俊介
嵐もそうですが、激しい自然災害の中では人々は通常の生活を守ることができません。避難所に暮らすだけでも苦しいことだそうです。パウロの乗った船の乗組員は何日の間も暴風が続いて、疲れ果てていました。海に捨てる物はもうすべて捨て去ってしまいました。その間3日以上でした。ですから、21節に書いてあるように彼らは食事もとっておらず、疲労の極限に達していました。ところが、このときパウロは皆に呼びかけました。第一に、クレタ島の「良い港」で冬が過ぎるのを待っていたら、このような困難に陥ることがなかっただろうという事です。これによってパウロは人々に反省を促しました。「『良い港』でパウロの助言に耳を貸さなかった人々に、パウロは『だからそういったでしょう』と言いたくなる気持ちを避けることができなかった。」[1] ただ、反省無くして前進もないのです。パウロは祈りの中で神からの指示を受けたのに、人々はその言葉を聞かず船長や船主の言葉に従ったのです。とくにそこには期日内に積み荷を目的地に届けるという経済的理由があったことでしょう。これはわたしたちも反省しなくてはならない点ではないでしょうか。「パウロが、そのことを思い起こしたのは、責めるためではなく、ただ自分の言葉は今度も決してむなしいものでないから、信用してほしいと言いたいためである。」[2] 人間に従うか、神に従うかの選択です。パウロは神の指示に従って危険を避けることが第一だと諭しています。
ところが、パウロは人々に反省を促すだけでなく、疲れ果てた人々に元気を出すように励ましを与えます。これもまた、嵐の最中に祈り続け、人々のためにもとりなしの祈りをささげたパウロが、神から示された事柄でしょう。22節にあるように、船は失うが、乗船者の中で命を失う者は一人もいないという驚くべき発言をパウロはしたのです。誰かが助かるとは、誰でも言えるでしょう。しかし、荒れ狂う海を前にし、船が沈没するような場合に、死亡する者がゼロで全員が助かるというのは、まさに奇跡の宣言です。あたかも、出エジプトの際に、モーセに導かれたイスラエルの民が真っ二つに分かれた海の中を安全に避難し、追撃するエジプト軍の攻撃を避けることが出来たのに似ています。「嵐の中でのパウロの出来事を綴ったルカの記事はまさにそれらの聖書の要素をまとめたものに見える。」[3] では、ここでパウロは嵐が突然止んで人々は安全に陸地に着くことが出来ると言いたいのでしょうか。あるいは海が開けて道ができるとでもいうのでしょうか。
23節で、パウロは神のお告げを受けたことを説明します。パウロにとって神とはどういう存在か分かります。それは、パウロが仕える神です。神の御旨に従って仕えるという事は、自分の利益のために神に願うのとは違います。それに、パウロの神はパウロが礼拝する神です。必要な時にお参りする神ではなく、決まって礼拝する神なのです。そして、この場合には神が直接現れたのではなく、神の使いである天使が告げたのです。また、それは夢の中ではなく、パウロのそばに天使が立って語ったのです。24節に書いてあるお告げは、まず「恐れるな」という神の啓示に特徴的な語りかけから始まります。罪多き人間にとって、聖なる方と出会うことは恐れを伴う事です。しかし、神の使いの天使は恐れないように諭します。神は我々を罰するためではなく救うために御心を示すのです。そして、神の約束は変わることがありません。神がパウロのローマ行きを約束したことは、必ず実現するのです。そして、パウロだけでなく、一緒に航海する者たちも滅びることがないというのです。だから、心配ない、元気を出しなさいというのです。そして、最後の言葉は決定的です。「わたしは神を信じている、そして神が告げられたことは必ずその通りになる」、というのです。これがパウロの確信でした。そして、それがパウロの証しでした。おそらく、パウロと同時代のクリスチャンたちも同じような信仰をもっていたことでしょう。わたしたちの場合はどうでしょうか。信仰が日々の生活に結びついているでしょうか。皆で話してみましょう。
パウロは船がどこかの島に打ち上げられると言いました。その時の乗船者たちの言葉や反応は記録されていません。おそらく、信じた者もそうでない者もいたことでしょう。その後も嵐は続き、ついに14日目になりました。彼らはアドリア海を漂流していたというのですから、とんでもない距離を流されたわけです。「今日、アドリア海とはイタリアとバルカン半島の間の海であるが、古代の用語ではシチリア島とクレタ島の間の海のことも示していた。」[4] それだけでなく、14日も不眠不休の状態が続いたら大変なことです。しかし、ついに船は島に漂着しようとしていました。おそらく草木の香りや鳥の声、あるいは波の砕ける音などで島の存在を船員たちは直感したのでしょう。28節にあるように船員たちは水深を測ってみました。オルギィアとは1.8メートルくらいです。それは両手を広げた長さであり、日本では一尋と呼ばれています。そして、最初にはかった時には水深が36メートル、そしてそれが島に近づいたときに27メートルくらいになったわけです。そうなると今度は船が座礁するおそれがでてきました。船員たちは4つの錨を投げ込み、船を固定しようとしました。海底が浅く、それに岩が多ければ錨が流されず、船は安定するはずです。島が近ければ泳いで陸にいけるはずですが、夜は危険なので人々は朝が来るのを待ちわびたのです。
ところが、30節にあるように一部の船員たちは自分たちだけ逃げ出そうとしてひそかに小舟を下しました。パウロはこの場合にもこの緊急事態を察知していました。彼が熟睡していたら船員たちに逃げられてしまったことでしょう。パウロには船員たちを止める力はありませんから、彼は百人隊長と兵士たちに警告しました。緊急事態です。必死で逃げようとする人々を止めることも危険なことです。そこで兵士たちが行ったのは機転の利いたことでした。脱出の唯一の手段であった小舟についたロープを断ち切ってしまったのです。これで、船上の人々は共通の運命に立つことになったのです。「すべての人が自分の運命のことしか考えず、ただ右往左往しているときに、キリスト者はその人々に生きる目標を示し、生きる勇気を与えなければなりません。」[5] 船はまさに神が与えた運命共同体となったのです。
ひと騒動が収まり、朝が来ました。33節には、パウロが食事をしなさいとすすめたとあります。彼らは何と14日間も嵐の中で食事もせずに過ごしてきたのです。それは単に食事の準備ができなかったということだけではないようです。「彼らがどんな神に願って嵐を静めてもらうために断食したのかは定かではないが、この可能性は十分に考えられる。」[6] そして、パウロが神から受けたお告げの通りに、船は島に漂着したのです。もう食料を保存しておく必要もありません。航海は終わったのです。パウロは34節以下で、人々を安心させています。ここでパウロが語った「あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」という表現は「あなたがたの髪の毛までも数えられている。だから、怖れるな。」(マタイ10:30以下)というイエス様の言葉を想起させるものです。乗組員たちは、パウロを通してイエス様の言葉を聞いているかのようでした。わたしたちはどんな時にイエス様の言葉を聞くでしょうか。皆で話してみましょう。
35節にパウロが食事を開始した様子が書かれています。それはあたかもイエス様の最後の晩餐の時のように、パンを取って神に感謝し、それを裂いて与えたのです。イエス様も5つのパンと2匹の魚で大勢の人を養う時に、パンを裂いて渡しました(ルカ9:16)また、エマオ途上の弟子たちに復活されたイエス様が出会い共に食事をした時にも、やはりパンが裂かれたのです(ルカ24:30)ルカは使徒言行録でもパンを裂くという表現を用いています。「ルカはパンを裂くという表現を主の晩餐のことに用いている。」[7] 人々はこの神の恵みを受けて力を回復したのです。この時点で、人々はパウロの語る神の真実を信じ始めていたことでしょう。37節にルカの言葉が入ります。船に乗っていた人数は自分たちも含めて276人だったというのです。「この帆船の大きさは、かなりなもので、アレキサンドリアとローマの間の交通は盛んであったから、わたしたちは船の中に276人いたと聞いても、驚くべきことではない。」[8] また当時の歴史家であったヨセフスは、600人乗りの船もあったと記録しているそうです。その正確な人数把握に驚かされると同時に、ルカが実に誠実に状況を記録していたかということがここからも推察されます。そして、その食事の後、穀物すら海に捨てて彼らは船を軽くしました。もはや彼らは自分だけ助かろうとか、商売のために積み荷を失いたくないなどという考えは持っていなかったのです。
39節からは新しい局面です。朝になって視界を得ると、島の方に砂浜が見えました。そこは浅瀬ですから大きな船が着岸することはできません。とにかく、砂浜のある入り江に入ろうとしたわけです。40節にあるように、船を固定していた錨の綱を切り、船首の帆に風を受けて入り江の方向に進んだのです。ところが、船首が浅瀬に乗り上げて船は動かなくなりました。「この浅瀬の土はねばついた粘土状のものとなり、船首はそこにめりこんで動けなくなったのである。」[9] 41節に書いてあるように、船は前方が動かないために船尾が波にあたって壊れていきました。緊急事態です。パウロの言葉を疑う者もいたことでしょう。安全に入り江に入るどころではなく、入り江に入ろうとしたことが災いを招いたのです。そして、激しい波もまだ続いていました。船が壊れても、そのような波の中をどうやって陸にあがったらよいのでしょうか。人々も迷ったことでしょう。それにこの船には積み荷のほかにローマに護送する囚人たちも乗っていましたから、それも問題でした。「彼らのうち大部分の者は、すでに死刑の判決を受けていた者であった。」[10] 42節では、兵士たちは囚人たちを殺害しようとしたとあります。もはやローマに護送することは不可能と思ったからです。そうなれば当然パウロも殺されるところでした。ところが神は意外な助けを与えます。百人隊長はパウロを尊重していたのでこの計画を止めさせました。おそらく、パウロが一般の囚人と違ったローマ市民であり、また神の人であることに畏敬の念を持っていたためでしょう。彼らがとった対策とは、43節にあるように、泳げるものが先ず上陸し、残りの者は乗組員に助けられて集団で上陸するということです。そこには強い者だけが生き残るような雰囲気はなく、互いに助け合って一人一人の安全を考えることが出来たのです。これもまた静かな神の奇跡といえるでしょう。そして、パウロが受けたお告げのように「一人も欠けることなく」276人全員が助かったのです。「彼らの最も暗い時にパウロに示された超自然的な約束は文字通り成就したのである。」[11] ここにも福音の証しがあるといえます。使徒言行録の最後の場面でルカは神の豊かな守りに触れました。これは実際に彼も体験したことでした。「それは、いかなる困難の中でも実現する神の必然にほかなりません。」[12] わたしたちも救いの確信を神から与えられ、人生の暴風雨がきたとしても御国への方向を失うことはありません。そして、わたしたちだけでなく家族の者や知人や、ひいては人類全員が救われ一人も滅びないことが神の御旨だと悟らせられるのです(ヨハネ福音書3:16)。
[1] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、512頁
[2] シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、326頁
[3] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、235頁
[4] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、411頁
[5] 尾山令仁、「使徒の働き下」、羊群社、1980年、465頁
[6] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、413頁
[7] 前掲、P.ワラスケイ、「使徒言行録」、237頁
[8] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、325頁
[9] 前掲、F.ブルース「使徒言行録」、518頁
[10] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、328頁
[11] 前掲、F.ブルース「使徒言行録」、519頁
[12] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、343頁