秋がくれた切符
珍しくラジオを聴いていたら、ミスチルの「秋がくれた切符」という曲が流れてきました。あまり聞いたことがない曲でしたが、今の季節にぴったりだと思いました。それに、歌詞が興味深いものでした。カバンのなかに一枚着地した落ち葉を見て、「神様が僕らにくれた何かの切符みたいだ。でもどこに行けというんだろう。この葉眺めて思う」と感じたのです。「でもなんの褒美なんだろう。今日も喧嘩したのに。」でもそのあとで、彼は「寒そうにしている君に駆け寄り手を繋ぐ」という切符の行く先を発見したのです。神様の贈り物とは、小さな愛を表現することでした。だから、「父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである」(ヨハネ福音書16章27節)とイエス様は教えたのでしょう。寒くなる秋の日に、神様の愛で心がほっこりする素敵な曲でした。多くのキリスト教の讃美歌は、美しいものが多いのですが、それでも16世紀とか19世紀などの過去の時代に作詞作曲されたものがほとんどで、新しもので優れたものは少ないように感じられます。「秋がくれた切符」のような美しい曲が讃美歌として作曲されたら、教会に来た青年たちもきっと慰められるに違いないでしょう。日本にも新しい讃美歌が登場することを願いたいですね。そういうわたし自身もルターのように作詞作曲すべきかもしれません(笑)。ただそれは無理でしょうから、すでに素晴らしい音楽的才能を持っている人たちが深い信仰を持ってそれを讃美歌として発表してくださるように祈っていきたいですね。キリスト教は衰退しているとはいえ、まだ世界中に数十億の信者がいるわけですから、彼らに励ましを与え、愛と平和を目指す力を与えることができる曲の存在意義は極めて大きいと思います。キリスト教讃美歌のユーチューバーの登場を願うわけです。