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八木伸也教授の不正受給

数ある国立大学の中でも上位ランクに入る名古屋大学の八木伸也教授が不正受給で処分されました。7年間に292件の出張を虚偽申請して1131万円を不正受給したとのことです。お金に困っているわけでもないのに、なんでこのような悪事に手を染めてしまったのかが疑問です。ちなみに、国立大学の教授の平均給与は64万円で、平均年収は778万円から1029万円です。国立大学とはいっても、地方の弱小大学もありますから、一概には言えませんが、名古屋大学ならこの教授の年齢である56歳を考慮に入れても、1000万円程度の年収はあったはずです。この彼にとって何が不足だったのでしょうか。どうも理解できません。わたしが以前に所属していた大学非常勤講師組合に加入していた講師の先生方は、教授とはあまり変わらないクラス数を担当しながらも、年数が200万円前後でしかなく、その上に研究費もないので、生活が苦しいと聞いたことがあります。格差社会ですね。貧しいものが不正受給するのならわかりますが、もうすでに十分持っている者がさらに不正を行う異常な社会です。しかし、資本主義社会ではあたりまえのことです。つまり、お金の奴隷になってしまうのです。聖書にも、お金に惑わされた「お金持ち」の実話がでています。それは、初代教会の頃に起こった事件ですが、不正受給ではなく、不正申告の話です。「アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。すると、ペトロは言った。『アナニア、なぜあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売ったとしても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。」(使徒言行録5章1節~5節)アナニアは資産家であったのに、お金というサタンに心を奪われて代金をごまかしてしまったのですね。八木伸也教授の場合も似ています。十分に生活費がありながら不正受給に手を染めてしまったのです。名古屋大学の教授紹介の欄を見ますと、八木伸也教授の座右の銘は「一隅を照らす」という最澄上人の言葉です。これは、最澄が中国で修行してから持ち帰った言葉であり、元来は、「一燈照隅、万燈照国」という表現でした。それは、一人が片隅を照らすような良い働きをするだけでも、それがたくさん集まれば、国という組織全体を明るくする働きとなる、という素晴らしい言葉です。残念ながら、それが今回は逆になってしまいました。しかし、これを「他山の石」として反省する大学の先生方もいるはずです。さらに、同じ名古屋大学工学部の教員プロフィールにでている他の先生方の座右の銘をみてみると、大変興味深いものも見受けられます。「あせらず、たゆまず、おこたらず」、「無心」、「微笑もて正義をなせ」、「天を相手にして誠を尽くす」、「人生万事塞翁が馬」「人の振り見て我が振り直せ」、「勇気ある知識人」、「大事なものは目にみえない」、「七転八起」、「他人に優しく、自分に厳しく」、「鬼十則, 限界は己の弱さで決まる」等々です。不思議なことに、この作業をしている最中に、ネット上の名古屋大学工学部の教員プロフィールの中から、八木伸也教授の写真と紹介が突然消えました。しかし、「天を相手にして誠を尽くす」気持ちで「一隅を照らす」働きをしたいと願っていた八木伸也教授が、何かの弱さでサタンに欺かれて不正受給に手を染めた7年間も、ある面では「人生万事塞翁が馬」でもあります。それは全国の同じ立場にいる人に警鐘を鳴らし、「人の振り見て我が振り直せ」と自戒させ、「鬼十則, 限界は己の弱さで決まる」と自省する「勇気ある知識人」を生み出し、「他人に優しく、自分に厳しく」を信念とする先生方が今後の八木伸也教授に「大事なものは目にみえない」と諭し、「七転八起」しても「あせらず、たゆまず、おこたらず」自分の道を進むように励ますのではないでしょうか。最澄上人の言葉を座右の銘とした八木伸也教授なのですから、アナニアのような悲惨な最期を迎えないように祈りたいものです。

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