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ワーテルローの戦いの勝者アーサー・ウェルズリーの目が優しい

1844年に撮られたアーサー・ウェルズリーの銀板写真が残されています。写真機が発明されてまだ数年のものでした。アーサー・ウェルズリーはイギリス軍を指揮して、ワーテルローでナポレオン軍に勝利したことで有名です。後にはイギリスの首相にもなっています。彼の経歴を見ると、実に歴戦の軍人でした。それだけでなく、フランスで学んだり、インドにあった植民地でも活躍し、国際的な視点を持った人でした。戦士でありながら、それは彼に任務を遂行する責任感からきたものであり、戦争が好きだったわけではありません。ワーテルローの戦いに勝利した後も、イギリス軍の戦死者リストを見せられた時、涙を流しながら「敗戦のときの気持ちは私には分からないが、これほど多くの戦友を失って得た勝利ほど悲しいことはない」と軍医に語ったそうです。やはり、彼は冷血な将軍ではなく真心を持っていたのです。インド植民地での統治の際にも、「公正、腐敗抑止、正直、約束の実行が統治の基本」と主張し、法律の整備と秩序の維持に努めたそうです。日清戦争の後に割譲された台湾の統治者であった明石元二郎も、同じような人格者でした。明石元二郎も国際人であり、ドイツ語、フランス語、ロシア語、英語は完璧に理解していたそうです。そして明石は台湾へ赴任すると各地を視察し、民情の把握に努めたそうです。また、台北刑務所を訪問した際には、25歳前後の受刑者が最多であることを聞くと「まことに、相済まぬ」と言ったということです。ここにも、彼の謙虚な姿があらわれています。後に初代ウェリントン公爵となったアーサー・ウェルズリーも実直な人でした。それは、彼の恋愛観が示しています。26歳の時に、同郷のキャサリン・パケナムに求婚しましたが、彼女の兄が、もっと地位の高い人と結婚すべきだとして反対したので、結婚はできませんでした。それでも、アーサー・ウェルズリーは彼女のことを忘れず、11年後にインドから有名な将軍として帰国した際に再度求婚して、結婚をゆるされています。心の優しい人だったと思います。聖書の中のダビデ王も戦士であり、政治家でありましたが、神を慕う優しい心は忘れなかったようです。詩編23編に彼の気持ちがあらわれています。「わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。(中略) 命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。」ダビデ王もきっと優しい目をしていたのではないでしょうか。あの明石元二郎も台湾を愛し、骨を台湾に埋めさせたそうです。写真を見ると、若いころの明石元二郎も、やはり優しい目をしていました。パウロもこう教えています。「あなた方は神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐みの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけなさい。」(コロサイ第二3章12節)

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