閑話休題

プーチン氏に憑依したサタン

前に書きましたが、ロシアの戦車にかかれたZの文字はサタンを想像させるものです。そして、最近、プーチン氏はウクライナがサタンに操られているというような発言をしています。「サタン」という言葉が登場しただけでも、ロシア人の宗教性を感じますが、そう発言する当人こそが、サタンに操られていることを暴露しているわけです。「鬼はそと」なのではなく、自分の中にいる鬼に気付いていないだけです。ただ、これは不思議なことで、能力の高い人には、サタンが憑依しやすいという事実があるのです。聖書を読んでも、イエス様が伝道に出る前の準備期間に、サタンの誘惑に出会っています。「更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、『もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう』と言った。するとイエスは言われた。『退け、サタン。”あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ”と書いてある。』そこで悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。」(マタイ福音書4章8節以下)イエス様にサタンは憑依することができませんでした。お釈迦様の場合にも、悟りを得る直前に、「降魔」といって、サタンの誘惑がありました。宗教改革を行ったルターでさえ、サタンの誘惑を感じて、インク壺を投げつけて撃退したという逸話が残されています。純粋な信仰心がある場合には、サタンの試みは成功しませんが、単なる宗教心やカルトの場合には、サタンの支配を受けてしまいます。プーチン氏が良い例であって、個人的には能力が高くても、それをサタンに利用されて、核戦争によって人類が滅びる寸前のところまで来ているわけです。ドイツのヒットラーも能力のある人でした。しかし、サタンに憑依されて、その能力は、神の民であるユダヤ民族の絶滅のために用いられたのです。こうしたマクロの世界は、比較的に理解しやすいものですが、わたしたちの個人の能力というミクロの世界でも、実は、純粋な信仰心のない限りサタンに利用されやすいものです。特に日本では、多くの新興宗教がありますが、それ等の多くは金や権力のために宗教が利用されているにすぎません。わたしは仏教徒ではありませんが、親鸞聖人や日蓮上人の伝記を読んでも、彼らの人生はむしろ清貧、反権力だったことがわかります。日本のキリスト教も自慢できたものではありません。「金や権力」というような表立った悪に走らなくても、コロナ禍での実態に反映されているように、自己保存に汲々としている姿があります。教会礼拝が不可能ならば、パウロのような手紙、或いはメールで伝道すればよいのですが、伝道ではなく教会維持が主たる目的となっている多くの教会はそれができません。とても残念なことです。わたしが所属していた日本福音ルーテル教会でも、弱小教会を次々と閉鎖し、土地を売却していますが、その理由は、お金がなくて牧師を雇い教会維持の諸経費を払うことができない、ということだけなのです。これもまた、金銭というサタンに敗北した教会の姿ではないでしょうか。ルターは「万人祭司性」ということを唱えました。初代教会はそうでした。しかし、この理想は実現されていません。牧師給与を払えなくても、「万人祭司性」で教会は、立派に伝道活動を続けることができるはずです。この印西インターネット教会も、「万人祭司性」の立場をとっていますから、日本中にたくさんの枝(ブランチ)となる教会がうまれて、「金と権力」とは無関係な伝道ができることが願いです。みなさんのなかで、「牧師はいないけど教会をたちあげたい」、あるいは「教会の建物はあるけど牧師が老齢化して指導ができない」というお悩みがあるなら、できる限りお役に立ちたいと思っています。では、シャローム!

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