ロシア正教会がウクライナ侵攻を”祝福”する理由
2022/11/28
ロシア正教はプーチン政権の暴挙に対して、それを批判するどころか大いに賛成しています。彼らにとっては、どんな理由であれ、殺略ということが聖書の教えに反するということはまったく考慮の価値がないことのようです。こうした思考方法はカルト的だと言えるでしょう。宗教は悩める人の魂を救うことができる一方で、邪悪な指導者に用いられれば、恐ろしいカルトともなります。それがロシア正教にもおこっています。ただし、これは宗教に限りません。台所で魚を三枚おろしにしている出刃包丁でさえ、用法を間違えれば、恐ろしい殺人凶器になります。午後のお茶のお供にぴったりのチョコレートも、依存症になれば、健康障害をうみます。この地上にあるものは、神が良しとして創造されたものですが、誤った用い方(英語で、ABUSE=AB+USE、ABNORMALと同じ)をすれば、人生を破壊する道具になりかねません。それが、サタンの戦略です。悪いものを悪いことに使うのではなく、良いものを悪いことのために使うように、サタンは誘惑するのです。これは宗教もそうですし、先端的な科学研究も同じです。最終的には、サタンは人類そのものを破滅させようとしていると思います。宗教もそれに利用されるということは、逆に考えれば、それがサタンの働きに不利なものだからです。さて、話をロシア正教に戻しましょう。東京お茶の水にあるニコライ堂を建てたニコライは、ロシア正教の宣教師でした。彼はほとんどたった一人で、まだキリスト教への迫害が残っていた明治時代の日本の東北地方で伝道し、3万人ほどの会員を擁する教団を形成したのです。その苦難の記録は、彼の日記に詳しく書かれています。それを読んでも、今から100年以上前の当時から、ロシア正教の上層部が保守的であり組織拡大しか望んでいなかったことがわかります。こうした宗教組織の持つ問題性については、アメリカの神学者でありケネディ大統領の顧問であったラインホールド・ニーバーが述べています。つまり、個人としての信仰者が良い人であっても、いったん人々が組織を形成すると違った方向に進みやすいということです。この点は、わたしも40年間に及ぶ牧会で痛いほど経験しました。ルーテル教会にも、組織の上層部が組織を自分たちに有利な方向に用いるという現象がみられました。宗教組織は、キリスト教に限らず、仏教や回教などでも、善であるよりも悪に傾きやすいものです。それが現在のロシア正教の堕落に見られているわけです。共産主義もおなじです。産業革命当時に資本主義がおこなった非人間的な搾取に反対して、カール・マルクスが共産主義を主張したことはよかったのです。しかし、それが理論の域を超えて、国家という組織を形成した時に、スターリニズムのような恐ろしい独裁主義を生み出しました。スターリンがウクライナに人工的な飢餓を生み出して生産性をあげた事実は映画になっています。ちなみに、この時の指導者だったスターリンは、若いころにはロシア正教の神学生でした。同じく、アメリカの南北戦争の頃に奴隷解放をとなえて、第16代大統領となったリンカーンも神学生だったことがあります。ロシアとアメリカが違った方向に進んだのは、状況の違いもあるとは思いますが、彼らが学んだ神学に違いがあったのではないでしょうか。今後の神学は、アウグスティヌスの告白にあるような個人の回心のみならず、集団としての人間、組織の改革、自浄作用などに焦点を当ててほしいと思います。ロシア正教会の誤りは、それを示しているのではないでしょうか。わたし自身も、組織の利益を目的とするキリスト教ではなく、単純に聖書のメッセージを伝えていくことを目的とした印西インターネット教会の働きを通して、健全な宗教のあり方を模索していきたいと思います。