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『炎のランナー』監督、ヒュー・ハドソン氏死去

映画「炎のランナー」を監督したヒュー・ハドソン氏が亡くなりました。86歳だったそうです。映画の公開は1981年ですから、彼の40代の時の作品です。この映画は、1924年のパリ・オリンピックのときの実話をもとにしたものでしたが、アカデミー賞の4部門で受賞するというような名作でした。おそらく、ヒュー・ハドソン氏の構想によるものだと思いますが、映画は、すでに年老いたランナーが若き日の昔を思い返すというような形になっています。登場人物の一人である、エリック・リデルは、自分の信仰心のゆえに、日曜日に行われる100メートル走の予選を欠席して、教会の礼拝を優先しました。これには、彼の代表国である英国全体が非難の矛先を向けましたが、エリックの気持ちは変わりませんでした。そして、彼を気の毒に思った同僚の400メートル走者が、「自分はすでに他の競技でメダルをとったから、君に出場権を譲るよ」といって、代走を許してくれたのです。そして、本来は100メートル走者であったエリック・リデルは、自分には無理と思える400メートルを、すべてを神に任せて走り切り、見事に優勝したのでした。非国民のように嫌われていたエリックは、一躍、国民の英雄、信仰のスーパースターになったのです。これを通して、ヒュー・ハドソン監督は、個人の信念の大切さ、国家権力がその自由を奪おうとする卑劣さ、また、物事の結果だけを見て一喜一憂する大衆の浅はかさなどを描き出したと思います。音楽やストーリー、画面構成だけではなく、一つの人生哲学を提示した感動の作品でした。余談ですが、オリンピックの後、エリックは宣教師として中国にわたり、その地で亡くなっています。現地の人々にも愛された宣教師だったそうです。ただし、戦時中のことですから、彼は日本軍に捕らえられ、山東省の収容所で亡くなりました。まだ43歳だったそうです。映画の「炎のランナー」のように、彼自身も短い人生を全力で走りつくしたのです。わたし自身も、これまで中国語を学びましたので、コロナ禍が終息したら、山東省を旅して、彼の足跡を辿りたいなとおもっています。エリック・リデルの故事を素晴らしい作品にしてくれたハドソン監督、ありがとうございました。

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