閑話休題

利己主義と利他主義の戦い

ソ連の崩壊、金融危機、テロの脅威、ドナルド・トランプ米大統領の誕生などを的中させたことでも知られるジャック・アタリという思想家が、現代の世界の様相を「利己主義と利他主義の戦い」の時だと論じています。これは、政治的には、専制主義と民主主義の戦いだともいえるでしょう。ウクライナ戦争を見ても、これは専制主義と民主主義の戦いだと思わされます。日本の歴史では、悪代官などはまさに利己主義のかたまりでした。学校生活の「いじめ」なども、利己主義から発生しているように思われます。アメリカの神学者であり、政治思想家でもあった、ラインホールド・ニーバーは、個人としての人間がたとえ良い人であったても、集団として行動するときに、それは利己的な方向に向かいやすいということを述べています。これも「原罪」のなせる業でしょうか。一方で、利他主義の象徴は天使でしょう。もうだいぶ以前のことでしたが、アメリカで貧しい起業家を助ける裕福な人のことを「エンジェル」と呼んでいたことがありました。まさに利他主義の象徴です。有名スポーツ選手などは、驚くほどの年収を持っていますが、利他主義の思いを持つ人は、その収入の一部を使って、私費で青少年育成の施設を作ったりします。これも利他主義であり、エンジェルだといえるでしょう。わたしが、アメリカに留学していた時に感じたことですが、アメリカの大学では、図書館や講堂、或いは教室の建物などに、ブラウン図書館とか、イェール教室などの名前がついていました。それは、事業で成功し莫大な資産を蓄えた人たちが、更生の若者たちのために資金を寄付したことによるものです。これも、利他主義といえるでしょう。それは、アメリカの資本主義が健全な時代に行われたことでした。キリスト教徒によって建国されたアメリカでは、現在でも宣誓のときには聖書に手を置いて宣誓します。そして、聖書とはなさに、人類に利他主義を教えるバイブルなのです。「与えなさい。そうすればあなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたは自分の量る秤で量りかえされるからである。」(ルカ福音書6章38節以下)実は、これは資本主義の原理でもあります。成功した多くの企業の開設初期には、顧客のために安価で利便性の高い製品をつくりだして成功しています。つまり、与えていたから、与えられたのです。そして、利他的な事業は存続する一方で、利己的な事業は早晩挫折します。これは、天命ともいえるでしょう。最初はエンジェルだったものがサタンに変質してしまったからです。政治でも同じです。利己的な専制政治は永続しません。歴史を見ればわかります。教会も例外ではありません。世の終わりを告げる黙示録では、エフェソの教会にたいして、「あなたは初めのころの愛から離れてしまった。」(黙示録2章4節)と書かれています。現代の教会でも、利他主義を忘れて、自己拡大や自己温存だけに走る利己主義がみられることもあるでしょう。これも「原罪」のなせる業です。そして、最後の最後には、利己主義のチャンピヨンのサタンと神の使いであるエンジェルとの戦いがあります。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。」(ヨハネ黙示録14章15節)そして、蛇に姿を変えた利己主義の象徴であるサタンと現世とはすべて消え去り、救い主の再臨とともに新しい世が始まるのです。「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも苦しみも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」(ヨハネ黙示録21章4節)人々は、エデンの園にいた昔のように、神(愛、光、命)と共に生きるようになるからです。これこそ、究極の贖罪です。それは、神の利他主義が勝利し、サタンの利己主義が敗北する時です。余談ですが、神の試練でもあるコロナ禍では、利他主義の国は回復し、利己主義の国は衰退しています。わたしたちの日々の生活でも、利他主義を第一にしていきたいものです。

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