先ほど静岡県から車で帰ってきました。行くときは、首都高と東名高速を使って印西市から3時間半ほどでした。菊川教会の礼拝の後、懇談会がありましたが、そこの会員であって「印西インターネット教会」のブログをいつも読んでくださっているOさんが、「先生、早く帰路についたほうがいいですよ」と言ってくださいました。わたしも、降り続いている雨が、箱根越えの際に雪に変わるのではないかと心配していたところでした。ところが、まさにこのOさんの言葉が神の助けだったのです。菊川のインターから高速に入って、沼津あたりまで走ると、箱根の道路は事故で閉鎖されたという表示が出ていました。そこで、御殿場から大月に抜けて中央道で帰ることにしました。ただ、これは危険な選択でもありました。富士山の裾野を抜けるこの有料道路は夏でも涼しい地域にあります。菊川では雨だったものが雪に変わりました。我が家の軽自動車には雪用のタイヤは装着してありません。大月まで着けなければ雪中野宿になってしまいます。さらに、降ってくる雪をワイパーで払いながら直進していくのですが、車内のフロントガラス用のデフロスターが効果なく、前面が曇って見えません。左手にハンドル、右手でガラスの曇りを拭き取りながら雪と暗闇の中を時速80キロで走行しました。少し間違えば大事故です。大月で中央道との合流点まで到達したときにはホッとしましたが、こんどは道路標示に「談合坂付近渋滞2時間」という表示がでました。それでは、今日中に印西市まで帰れません。ですから、大月で高速を降りて、カーブの多い相模湖沿いの道を八王子に向かいました。その時には、富士山の裾野の有料道路は雪用のタイヤのない車は規制中という表示がでていました。あの菊川教会のOさんの親切な言葉がなく、もし、あと30分遅れて出発したらきっと帰れなくなるところでした。(人を通しての神の助けというのはあるものですね!)やっと、高尾山の婉曲した山道を越えて八王子側に下ったときにはコンビニで飲み物を買って、教会でいただいたオムスビを食べて20分ほど仮眠しました。あの雪の中の運転と、朝早く出発したので疲れていたわけです。無理をしないのが一番です。幸いに、その後、八王子のインターから高速に入ってからは、雨や雪はなく順調に帰宅することができました。首都高の北の丸付近では、ライトアップされたお堀端の桜が既に満開で、まるで帰路を祝してくれるようでした。(神に感謝)箱根駅伝は往路も復路も同じくらいの時間ですが、今日の運転では往路3時間半、復路7時間でした。でも、菊川教会の素晴らしい信徒の方々にもお会いでき、わたしも励まされました。礼拝当番のMさんの献金のお祈りも心にしみる誠意のこもったものでした。Aさんは何時間もかけて電車を乗り継いで山梨県の長坂から礼拝に来てくださいました。インドから日本に移住されたKさんとも会うことができました。Kさんは東京の六本木でテナーサックスを演奏していたミュージシャンです。また、教派は違いますが地域で社会福祉の働きをしておられるK牧師夫妻にもお会いできま、先生とは一緒にあつい握手を交わして祈り合うこともできました。わたしは説教するだけで、司式や聖餐式を担当してくださった菊川教会の横田先生にも感謝でした。次回は、4月9日のイースター礼拝で説教を担当します。礼拝の後には楽しい祝会があると思いますので、教派や宗教をこえて、近くの方もご参加してくださればきっと素晴らしい復活祭になることでしょう。
「わたしたちはどこから来てどこに行くのか」 ヨハネ3:1-17 2023 3 5
旧約聖書の日課である創世記12章には、アブラハムの召命、つまり神に招かれて故郷から見知らぬ土地に移住したことが書かれています。まさにこれも、「わたしたちはどこから来てどこに行くのか」という今日の説教題そのものです。
見知らぬ土地や、見知らぬ経験というのは不安なものです。わたしはレストランでも見知らぬ場所にはいきにくいです。皆さんはどうですか。ましてや、見知らぬ国に移住するのはとっても不安でしょう。今から30年くらい前のことです。わたしは東京の板橋ルーテル教会で牧会していました。そこに広島から妻の両親が遊びに来ました。父親は上顎ガンになっていました。ある日、教会の中庭で椅子に座って寂しそうにタバコをふかしているので、聞いてみました。お父さんどうしたんですか。すると彼はいいました。わしも、もう長くない。だけど心配だ。天国にはいったことがないけんのう。確かにそうです。いったことがない場所に行かなければならないのは辛いです。それから間もなく、義父は亡くなりました。75歳くらいだったと思います。今振り返ると、あの時、義父に何か言って励ましてあげたかったです。なぜなら、あの時の彼の悩みは、「わたしたちはどこから来てどこに行くのか」という疑問だったからです。
この「わたしたちはどこから来てどこに行くのか」という言葉は、タヒチの絵を描いた画家、ゴーギャンの傑作につけられた題です。ゴーギャンの作品が東京に来た時に、わたしもこの、「わたしたちはどこから来てどこに行くのか」という題の作品を見たことがあります。ネット上に作品の説明が出ていますので引用します。
「本作を手掛ける直前のゴーギャンは愛娘アリーヌを亡くしたほか、家から立ち退きを余儀なくされ借金を抱えた上に健康状態も悪化するなど、失意のどん底にあった。実際に本作を描き上げた後に自殺を決意しており(未遂に終わる)、自身の画業の集大成と考え、様々な意味を持たせたと言われる[2]。絵画の右から左へと描かれている3つの人物群像が、この作品の題名を表している。画面右側の子供と共に描かれている3人の人物は人生の始まりを、中央の人物たちは成年期をそれぞれ意味し、左側の人物たちは「死を迎えることを甘んじ、諦めている老女」であり、老女の足もとには「奇妙な白い鳥が、言葉がいかに無力なものであるかということを物語っている」とゴーギャン自身が書き残している。背景の青い像は恐らく「超越者 (the Beyond)」として描かれている。この作品について、ゴーギャンは、「これは今まで私が描いてきた絵画を凌ぐものではないかもしれない。だが、私にはこれ以上の作品は描くことはできず、好きな作品と言ってもいい」としている。」
おそらく、あの時の義父の思いも似たものだったことでしょう。大正時代の牧師の家に生まれ、太平洋戦争では、仲間が次々と戦死していく、インパール作戦に衛生兵として送られました。鉄砲を持つことは拒否したわけです。それは地獄のような世界でした。撤退路を絶たれた兵隊たちは飢えと病気で次々と死んでいきました。インパール作戦は史上最悪の作戦と呼ばれました。作戦に参加した9万人の兵士のうち、6万人が死傷したからです。そこを生き残った父でしたが、ガンが転移して再び、「わたしたちはどこから来てどこに行くのか」という問いにぶつかったのでした。死線を越えて来た父でしたが、未知の世界には、とても不安があったと思います。
皆さんなら、こういう悩みを抱えた人を、どのように励ましてあげますか。あの時の自分には答えがありませんでした。今なら、こういうでしょう。お父さん心配しなくていいですよ。天国は行ったことがない場所ではなく、わたしたちが前にいた場所であり、神様が一緒にて下さるわたしたちの故郷なんですよ。
ただ父は、牧師だった親に従順な人でしたから、神学校にも行って、戦争がなければ牧師になっていただろう人でした。キリスト教の教理は学んでいたので、天国のことは知っていたけれど、知っているがゆえに、最後の審判などが気になっていたのではないでしょうか。その心配を取り除くには、今日の日課の、ヨハネ福音書3章16節の理解がとても必要だと思います。
ヨハネ福音書3章16節は、小さな福音書とも呼ばれています。それは、この部分に、福音理解に必要なものがすべて盛り込まれているからです。まず、冒頭に神はこの世を愛された、と書かれています。原語のギリシア語をよく見ますと、「愛」という言葉には無条件の愛という意味の「アガペー」が用いられています。ギブ・アンド・テイクの愛ではありません。また次に重要なのは、「この世」という表現です。これにはギリシア語の「コスモス」という言葉が使われています。英語では宇宙という意味です。勿論、美しいコスモスの花のことでもあります。しかし、聖書の原典では、「神から離れて腐敗している異教世界」つまり「罪人の世界」を示しています。驚くべき福音だと思います。何故なら、それは、若いころのパウロのような、キリスト教の迫害差で暴力的な殺人者だった人をも、神は無条件で愛したという意味です。同じように、十字架上のイエス様の隣の十字架につけられた正真正銘の悪人であり犯罪者であったバラバに対しても、イエス様は、あなたは今日わたしと共にパラダイスにいるよと、語りかけて、神の無条件の愛を示したのです。それだけではありません。神は最愛の息子、イエス・キリストを、わたしたちが原罪から贖われるための犠牲とされ、彼を信じる者には、例外なく永遠の命を与えると約束してくださったのです。
ここで特に大切なのは信仰の重要さです。一般的に、宗教は律法的になりやすい性質があります。キリスト教も例外ではありません。人間の社会は、すべて条件的です。条件が満たされれば、オリンピックに参加できます。条件が満たされれば良い学校に入学できます。条件が満たされれば、優良企業に就職できます。ですから、人間が作った宗教規則も、条件が満たされれば天国に入れますよ、という形になります。妻の父が、「わたしたちはどこから来てどこに行くのか」ということが心配だったのは、自分が救われる条件を満たしていないのではないかという心配があったのではないでしょうか。しかし、ヨハネ福音書3章16節には、まったく逆である神様の無条件の愛が説かれています。
ただ、これは自動的に、無差別に誰でも救われると教えてはいません。博愛主義ではないのです。神から与えられた御子イエス・キリストの十字架の尊い犠牲が、自分が受けるべき処罰の身代わりのためだったと信じる者にのみ、永遠の命が与えられるのです。これは救い主への信仰です。ですから、今日の使徒書の日課である、ローマ書4章5節にも、「しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます」と書いてあります。これは裁きのためではなく、救いのためです。救いは、イエス・キリストを通してのみ与えられるということです。他には道はありません。どんなに祈っても。どんなに慈善を尽くしても。どんなに聖書を読んでも。どんなに礼拝しても。どんなに熱心に自分を浄化しようとして頑張っても、イエス・キリストを救い主として信じる以外の救い(罪と死からの解放)の道はないのです。逆も可です。どんなに良い働きがなくても、どんなに皆から嫌われていても、イエス・キリストを救い主と信じる者は義とされます。
わたしはまだ学生だった50年前に、この世に希望がなく死ぬことばかり考えていました。自殺する勇気もありませんでした。しかし、神様の無条件の愛を、クリスチャンの宣教師に教えてもらい、キリストの十字架の贖いを信じて50年前のイースター(1973年4月22日)に洗礼を受けました。そして50年たった今も、パウロの言う通り、「しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。」という言葉は真実だったと感謝しています。死ぬ人生ではなく、永遠の命を与えられた人生を歩んでくることができたからです。
さて「わたしたちはどこから来てどこに行くのか」という疑問に対して、皆さんも、その答えを知っているでしょう。ただ、最後に、アメリカに留学していたころにアメリカの教会学校で聞いた話をしましょう。アメリカの教会というのは、歴史も長いし、日本のキリスト教に比べて福音理解が深いのではないでしょうか。これも「わたしたちはどこから来てどこに行くのか」という疑問への答えだと思います。
クリスマスも近い寒い夜でした。ロンドンの貧しい街でジョン君は暮らしていました。ただ、ほかの子供と違っていました。ジョン君は学校に行かないで毎日、靴磨きの仕事をしていました。また、ジョン君の両親は疫病で死んでしまって、ジョン君はおじさんおばさんの家に預けられていました。その日は一日中町の道路際に座って、「シューシャイン・シューシャイン」(靴磨きはいりませんか)と叫んでいましたが、一人もお客がありませんでした。夕方になって少し雪も降り始めましたが、ジョン君は思いました。どうしよう、このまま帰ったらおじさんおばさんに怒られてしまう。だから、暗い路地で「シューシャイン・シューシャイン」と叫び続けました。あたりの家の窓からは夕食のおいしそうなにおいがしてきたり、家族団らんの楽しそうな笑い声が伝わってきました。でも、そんな幸せは孤児のジョン君にはありません。雪がだいぶ多くなって悲しい気持ちで「シューシャイン・シューシャイン」と叫んでいたジョン君のまえで、優しそうな紳士が突然立ちどまりました。「おじさん、靴をみがきますか」「いや、そうじゃない、こんなに寒いところで大変だね。おなかもすいているだろう。お父さんやお母さんも心配しないかい。」「おじさん、ちがうよ、僕には両親はいないんだ。それに靴磨きのお金がはいらないと世話をしてもらっているおじさんやおばさんから怒られるんだ」「そうかい、まだ小さいのに大変だね。そうだ、いい考えがあるよ。この先の角を曲がったところに、大きな白い家があるよ。そこに行ってごらん。きっと助けてくれるよ。そのときにドアをノックして、出てきたおばあさんに、ヨハネ3の16と言えばいいんだ。」「わかった。行ってみる」ジョン君は靴磨きの道具をまとめて、雪で真っ白になった道を踏みしめて、その家に向かいました。そして、大きな白い家のドアをノックすると、優しそうなおばあさんが出てきました。ジョン君は恥ずかしそうに「ヨハネ3の16」とだけ言いました、すると、おばさんは「わかったわ、よくきてくれましたね。さあさあ、中に入ってください。外は寒かったでしょう。おなかも空いているでしょう。」そう言ってジョン君を家の中に案内してくれました。部屋の中はすごくきれいで温かくてジョン君は幸せな気持ちになりました。しばらく待っていると、夕食の準備ができました。ダイニング・ルームにはいると、テーブルの上には見たこともないようなごちそうが用意されていました。料理を食べながらジョン君は聞きました。「おばさん、あの紳士が教えてくれたヨハネ3の16って何なの。」「まあまあ、それは明日になったら教えてあげますよ。今夜は温かいお風呂に入って、ゆっくりこの家でお休みなさい。おじさんやおばさんには人をやってお知らせしておきますから、安心して下さい。」そこで、ジョン君が久しぶりにお風呂に入って、寝室にいくと、そこには王様のベットのようにふかふかのベッドがありました。おじさんおばさんの家の、寒くてかたいベッドとは全く違いました。ゆっくり休んだジョン君が翌朝目を覚まして窓から外を見ると、そこは真っ白な一面の銀世界になっていました。ジョン君は駆けるようにして階段を下りて台所で朝食の準備をしているおばあさんに尋ねました、「ねえ、おばさん、あのヨハネ3の16って何なの」おばあさんは、部屋の真ん中に置いてあった大きくて黒光りのしている本をとっていいました。「それはね、この聖書の言葉なの。ヨハネの福音書3章16節ということよ。こう書いてあるわ、神はそのひとり子を与えたもう程にこの世を愛してくださった、それは御子を信じる者が一人も滅びずに永遠の命を得るためである」そして、言いました。ジョン君、神様はあなたを愛してくださっていますよ。これからは、心配しないで神様の愛を信じて生活していってくださいね。その後、親のいないジョン君も、神の愛を信じる優しい人たちに助けられて立派な人に成長しましたとさ。(終わり)
さて最後に、質問です。将来のジョン君はどんな人になったでしょうか。「わたしたちはどこから来てどこに行くのか」この言葉は真実です。神様から離れてしまった、わたしたち人類は、親のない子供(ジョン君)のように、さまよい、悲しい苦難の人生を送ることになりました。しかし、救い主の働きによって、再び神の愛の家に戻ることができたのです。わたしたちの人生も同じです。わたしたちが、神の無条件の愛を知る前と、その後では暮らし方が全然違います。成長した後のジョン君も、家の位置を案内してくれたあの優しい紳士や、温かい接待をしてくれたおばあさんのような人になったことでしょう。いや、あの紳士やおばあさんも、神様の無条件の愛を知るまでは、辛く淋しい毎日を送っていたのかもしれません。
さて、わたしたち自身も、ヨハネ福音書3章16節を通して神様の無条件の愛を知るならば、きっと神様の助けてとして、この世で孤児となって、苦しく悲しい人生を送っている多くの人に助けを与えることを希望するでしょう。「わたしたちはどこから来てどこに行くのか」その答えをゴーギャンは探しましたが、聖書のヨハネ福音書3章16節には、神からさまよい出て死の呪いを受けた人間が神の家に導かれ(永遠の命を与えられる)と書いてあります。ジョン君が与えられたあの御馳走と同じ神の御馳走が、今日わたしたちに与えられる聖餐式です。感謝してこれを受けましょう。
人知を超えた、神の恵みと平安とがあなた方一同と共にありますように。