閑話休題

「馬鹿は死ななきゃ直らない」広沢虎造の森の石松三十石船

昨年から毎月、第一日曜日には静岡県の菊川ルーテル教会に行って伝道説教に行っています。ここはお茶の名産地です。教会の昼食時にでる普通のお茶さえ、千葉県のものとは格段の違いがある美味しさです。それだけでなく江戸時代には有名な東海道の街道筋でした。子供のころに聞いた浪曲に出てくる侠客、清水次郎長のなわばりでもありました。この子分が森の石松です。京都の伏見に向かう船の上での自慢話が、興味深い浪曲の語りになっています。改めて、浪曲を聞いてみると、これは音楽とドラマであって、西洋のオペラやミュージカルに似ているなと思いました。ただし、浪曲の場合には、視覚的な舞台装置がないので、100パーセント聴衆の想像力に依存するものです。その分、心の中に深くしみこむものがあるように思いました。それにまた、広沢虎造の浪曲が状況を生き生きと描写しています。自分も三十石船に乗り込んだような気持ちにさせます。その語りになかに「馬鹿は死ななきゃ直らない」がでてきます。実際に、森の石松は騙され、次郎長との約束を守って、戦わずに都鳥兄弟に惨殺されてしまったわけです。馬鹿輪馬鹿なのですが、その忠義心はホロリとさせるものがあります。この「馬鹿は死ななきゃ直らない」という有名な一句で思い起こす、聖書の中の人物はヨナ記のヨナでしょう。ヨナは神様から、悪徳の町ニネベに行って滅びの警告を告げるように言われました。しかし、彼はそれが嫌で船に乗って逃げたのです。しかし、船は大嵐にあって沈みそうになりました。船員たちは、誰かがこの災難の原因かを調べるためにくじをひくと、ヨブにあたりました。その結果、ヨブが神のお告げを無視して逃げて来たことがわかってしました。ヨブは、自分を海に放り込んだら嵐は静まるといいました。くじにあたったとはいえ、皆に嘘をつくことはできなかったのですね。ここがヨブの素朴なところです。弱気な人だったのですが、少し頭の弱かった石松のように、憎めない人だったのです。さて、海に放り込まれたヨナは、神様の助けで、大きな魚に飲み込まれて三日三晩、魚の腹の中で生きていました。そして、「救いは主にこそある」と祈りました。その後、魚がヨナを陸地に吐き出してヨナは助かりました。その後、再び神様のお告げがあって、ニネベに向かいました。そして、今度は命じられたとおりに、ニネベの滅亡を宣告して回ったのです。すると、意外なことにニネベの人びとは、悔い改めて断食したのです。それを見て、神は災害を起こすことをやめました。しかし、これを知って、ヨナは激怒しました。命令通りに滅ぼしてほしかったのでしょう。そうでなければ、自分が嘘つきになってしまいます。だから、彼は、あきらめきれずにニネベを見渡せる郊外に小屋をたてて、都市の壊滅を見届けようとしました。神の言葉を信じなかったヨブの姿も、まさに「馬鹿は死ななきゃ直らない」です。しかし、いくら待っても破滅はおきません。頭上の太陽はその暑さでヨブを苦しめました。神様は、ヨブに日陰を与えるためにトウゴマの木を成長させました。ヨブは喜びました。ところが翌日に、神様は虫に命じて木の葉を食い尽くして枯れさせました。また熱い太陽に焼け焦がされたヨブは、怒って「生きているよりも、死ぬ方がましです」と神様に告げました。神様は、そこで、ヨブを諭しました。「お前は、自分で育ててもいないこのたった一本の木を惜しんでいる。それなら、わたしが善悪を知らないニネベの12万の住民を惜しむことがわからないはずはない。」やはり、ヨブは「馬鹿は死ななきゃ直らない」ということだったのです。しかし、「右も左もわからない」ニネベの住民だけではなく、ものをわきまえなかったヨブへの神の愛情も感じる場面が描かれています。まるで浪曲のように、聖書の中の、神様の「人情溢れる」場面でした。「馬鹿は死ななきゃ直らない」それは自省の句でもあります。また、辞世の句でもあるでしょう。さて、「ちょうど時間となりました~。」

-閑話休題