夏の終わりの夕闇の天空には三日月が輝いています。萩原朔太郎が「月に吠える」という詩集を出してから106年になります。その中に、悲しい月夜という詩があります。
悲しい月夜
ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰気くさい声をして、
黄いろい娘たちが合唱してゐる、
合唱してゐる、
波止場のくらい石垣で。
いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあはせの犬よ。
萩原朔太郎のこの詩集には、北原白秋が序文を書いていますが、その中で「月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。」と書いています。わたしも、あの三日月を見るたびに、悲しい出来事を思い出します。いまから何年も前のことでした。八王子ルーテル教会の近くの公園の上の夜空に、今まで見たこともないような鋭い三日月が輝いていました。わたしはそれを記憶にとどめただけで、誰にも話しませんでした。すると、翌日の聖書研究の時に、教会員のKさんが、「先生、昨夜の三日月をみましたか」と、わたしに聞いたのです。あの月を見て不思議な思いを抱いた人がいたのだと思うこと自体が不思議でした。しかし、まもなくKさんは自宅で睡眠中に脳梗塞を起こし、家族が気付いた時には手遅れでした。幸いにも命はとりとめたものの、聡明で信仰心が深かったKさんは、手術で脳の一部を除去され、頭には陥没ができ、話すことも動くことも不自由な身になってしまったのです。悲しい結果でした。あの薄くかけた三日月を見るたびに、あの日のことを思い出します。北原白秋も、萩原朔太郎の詩集全体の基調に悲しみがあることを感じていたのでしょう。わたし自身も、月に吠えたい気持ちにもなります。キリスト教信仰があっても、自分では、悲しみを喜びに転換することはできません。萩原朔太郎の詩集の中には、「懺悔」という言葉が何度も出てきます。それだけでなく、この詩集の挿絵を制作した田中恭吉という版画家も、夭折する前に、聖書をよく読んでいたそうです。その辺を考慮すると、詩集に内在する悲しみは、生きることへの「懺悔」の悲しみとも受け取れなくもありません。なにか悪事に手を染めたのではなくても、生きること自体に、あのかけた三日月のような鋭い痛みを覚えざるを得ないのではないでしょうか。そんなわたしたちにできることは、月に吠えることだけです。無力な存在なのです。無力な存在が、天空に救いを求めて声を上げるという図が、そこにあります。そこでは、懺悔は、悔い改めというような理性の所作ではありません。ここでの悔い改め、ここでの懺悔は「叫び」です、月に「吠える声」です。これを書いていたら、なんだか銚子の「犬吠埼」に行ってみたくなりました。でも、まあ、場所はどこでもいいでしょう。叫びです。悲しみのほとばしりです。新約聖書には、あまりこれは看取できません。おそらく、資料が編集されていた時点で、理性を経由して神学化されているからでしょう。他方、旧約聖書には、「悲しみ、吠える声」がそのまま保存されています。一例をあげるなら、反逆したわが子アブサロムを喪ったときのダビデの叫びです。「ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた。彼は上りながらこう言った。『わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。』」(サムエル記下19章1節)ダビデの悲しみの叫びが伝わって来るかのようです。初秋の三日月を見るたびに、わたしも悲しい記憶を思い起こします。おそらく、懺悔とは、天にに向けた悲しみの告白ではないでしょうか。夜空に吠えるかのようなか空白です。月に吠えること。わたしたちの痛みを伴った告白も無駄ではないと思います。「真珠となりし貝の春」萩原朔太郎自身も、真珠貝の痛みを、真珠の生成に関連させて書いていました。これは、日本人がまだ悲しみから眼をそらさなかった時代の、優れた作品だと思います。