閑話休題

悪の連鎖と幸運の連鎖

わらしべ長者の話があります。これは観音様にお参りに行った貧しい男が、堂を出て最初に手にしたものを大切にしなさいとのお告げを聞いたことから始ままります。そして、最初に手にしたものは、わらしべでした。しかし、それが蜜柑と交換され、蜜柑は高価な反物と交換され、高価な反物は馬と交換され、この馬のおかげで最後には蜜柑をくれた長者の娘と結婚し、村一番の金持ちとなったという話です。まさに幸運の連鎖だと言えます。しかし、悪の連鎖もあるのではないでしょうか。現在のイスラエルとハマスの戦争を考えてみましょう。イスラム教徒であるパレスチナ人は、ほかのアラブ人と同様に砂漠のような乾燥地帯であっても、そこを故郷として平和に暮らしていたことでしょう。古来、アラブ人の生活習慣として知られていることは、見知らぬ旅人であっても、自分の知人のように歓迎し宿や食事を与えたことです。しかし、何百年も続いてきたそうした生活にも変化が現れました。世界の列強の独断的合意で、パレスチナが割譲されてユダヤ人たちが入ってきたからです。最初はこれを歓迎した者もいたことでしょう。しかし、彼らを家に招いたらどうだったでしょうか。ユダヤ人にはアシュケナジと呼ばれたヨーロッパ系のユダヤ人と、サファラディと呼ばれた中近東系のユダヤ人がいます。招かれた人がサファラディならば、会話にも共通点があると思いますが、アシュケナジならばどうでしょう。すでに、高度に発達した先進国の技術や金融の知識を持ったユダヤ人は、テント生活のような原始的生活をしていた彼らを軽蔑したことでしょう。それに反感と憤りを持ったパレスチナ人が、ユダヤ人の入植地にいやがらせをしたかも知れません。ユダヤ人の方は、欧米からの知識と財力を持っていますから、パレスチナ人の土地を無慈悲に取り上げていったことでしょう。それに怒ったパレスチナ人が小規模のテロ行為に走ったに違いありません。弱者の武器はテロしかないからです。わたしがイスラエルに留学していた1980年代にもテロはありました。しかし、エルサレム市内でもユダヤ人とパレスチナ人の大部分は平和共存していたのです。しかし、やがてイスラエルを憎む外国のアラブ国家などの支援を得て、テロも拡大しインティファーダなども起こるようになりました。世界各地で迫害を受け、やっと建国したイスラエルに逃げるようにして移住してきたユダヤ人たちは、危険察知能力が高く、それ以上の敵対行為が蔓延しないように、多額の費用をかけてパレスチナ人の地区を囲む塀を作ってしまいました。この塀のせいで、パレスチナ人の不満はさらにたかまりました。以前はユダヤ人と同じ土地を共同っで使っていた人々は、自分たちが塀の中に監禁されたように感じました。これは、笑い話のような話ですが、わたしがエルサレムに住んでいた時には、買い物に行くときにはまずカレンダーを見なさいといわれました。何故なら、アラブ人の店は金曜日がお休み、ユダヤ人は土曜日、クリスチャンは日曜日だからです。つまり、そのころは、同じ地域に違った宗教、違った民族の人びとが平和共存していたからです。しかし、壁は状況を一変させました。隔離することで、お互いの寛容と理解も消えたのです。今回の、ガザ地区で始まった攻撃では、外国から旅行してきて音楽コンサートに参加しただけの人も多数が殺害されたり人質になっています。それに怒ったイスラエル側は、ガザの焦土作戦にでています。これは、まさに悪の連鎖と言えないでしょうか。わらしべ長者の話の丁度逆の事態です、こうした不幸の連鎖には、サ〇ン(名前を出すだけでも危険)の働きがあると思います。それも、実際は、わらしべのように小さなことから始まるのです。聖書には、「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(ルカ福音書16章10節)と書いてあります。ですから、幸運の連鎖の場合はそれを最大限に活用し、サ〇ンが引き起こそうとする悪の連鎖では、それが拡散しないように、小さなことでも見逃さず、愛と赦しをもって対処する必要があるのではないでしょうか。何事においても、すべての始まりは小さな事だからです。わたしたちの社会が幸運の連鎖の社会となるように願っています。

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