「成功を支える人々」であったはずの水原一平氏の横領疑惑
大谷翔平選手の通訳を務めていた水原一平氏の醜聞が報じられています。彼はメジャーリーグでの活躍を夢見てアメリカに渡った大谷選手を、試合や生活の両面で支えてきた人で、まさに「成功を支える人々」の一人であったはずで、教科書にも掲載される予定だったそうです。しかし、そうした美談は一挙逆転してとんでもない醜聞にかわりました。自分が作った賭け事の借金の穴埋めに大谷選手の口座から6億8千万円もの金を引き出していたというのです。「成功を支える人々」が実は「成功の甘い汁を吸う人々」だったわけです。しかし、これは、水原氏に限らず、人間の罪の性格を表しているのではないでしょうか。イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダですら、会計管理の役割をしていた責任感のある人だったにもかかわらず、自分の恩師を金のために売り渡したのです。金の魔力とでもいいましょうか。イエス様のために高価な香油を用いた女性にたいして、「このような金があるなら貧しい人々のために用いるべきだ」と言って憤慨した彼が、実は金の奴隷だったとは実に皮肉なことです。大谷選手の成功を支える人であったはずの水原氏が、実は、金を得るために働いていただけだったというのも、実に皮肉なことです。ただ、こうした皮肉な現象についてパウロは熟知していました。だから、こう言っているのです。「ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。(中略) 正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。(中略)善を行う者はいない。ただの一人もいない。彼らののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇にはマムシの毒がある。」(ローマ信徒への手紙3章9節以下)アメリカの優れた神学者であったラインホールド・ニーバーは、他者の過失を非難する人に対して、「その人は自分が同じ立場だったらどうするのだろうかということに考えが及ばない」と言っています。87億円を超える年収を持つ大谷選手の口座から、数億円は自分のポケットに入れても悪くないだろうと思ってしまったのでしょう。一歩さがってこの事件を見ると、家には食べる物がなくて、学校給食を人の二倍食べている子供がいる社会で、こうした貧富の差をつくっている社会自体が悪いと思わないではいられません。そんなことを考えさせられる事件でした。