閑話休題

忖度文化と忖度言語

海外の言語に比べて、日本語は謙譲語などが豊富で、豊かな文化をあらわしていると考えられることもあります。しかし、それだけでなく、大きな影の部分があるのをご存知だろうか。わたしの龍学生時代のことです。6年ほどアメリカにいたのですが、その間に帰国したのは一回だけです。アメリカからの往復航空券は、当時の大学の一年分の学費くらいしたのですから、貧乏学生にはなかなか入手困難なことでした。それでもバイトで旅費をためて、一番安かった大韓航空の便で帰国することにしました。ハワイ経由で成田までの便でしたから、すこしは観光ができるかと思い、楽しみにしていましたが、ホノルルの到着が夜の12時、出発は朝の7時でした。外に出ることもできず、空港で眠れぬ一夜を過ごしました。朝になり、搭乗すると、これで日本に帰れるという気持ちで心も明るくなりました。ところが、その明るさが、突然、暗転したのです。飛行機が滑走路を走って離陸するまでスピードを出していくことを、英語では、タクシーといいますが。まさに、このタクシーしている最中に、大音響がして飛行機は止まったのです。爆発ではなかったのが幸いでした。ただ、そのときに、日本語と英語の放送があり、内容の違いにガクゼンとしたのです。飛行機の乗客のほとんどは日本人でしたので、まず、日本語で状況の説明(?)がありました。「ただいま、機内の調整の為に出発が遅れています、少々おまちくださいませ。」その後の、英語の説明を聞いて、急に止まった原因がメイン・タイヤのバースト(パンク)にあることがわかりました。これは大変な事故につながる可能性を持っていました。わたしの座席は前の方で、機内の前部非常ドアがあいていたのでそこから外を見て再びガクゼンとしたのです。わたしたちの飛行機が、からくも止まることができたのは、滑走路のはじもはじ、最先端であり、パイロットのいる機首の前面には青いハワイの海が広がっていたのです。そうなんです。あのまま離陸したら、成田で胴体着陸だったでしょう。また、もう少し、制動が遅れたら、海中に突っ込んだにちがいありません。それなのに、それなのにです。乗客に心配をかけまいとする忖度精神で、ものごとの真相を伝えず、「機内調整」で済ます、言語、これが日本語でした。あたりを見回すと、日本語しか理解できていない乗客は、いかにものんきに談話していました。これが、生命の危機を知らされていない忖度の結果なのです。そうした状況を助長しているのが、日本語であり日本文化であると思えてなりません。今後も、国家規模で危機の状況が来ても、肝心の情報は大衆には伝えられないでしょう。嘘だと思うなら、原発事故のさいに、海外のメディアがどのように東京の汚染も伝えていたかを調べてみてください。そんなこともあって、わたしは、真実を知るためには、外国語の習得が大切な事だと考えています。聖書には、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネ福音書1章1節)、と書いてあります。聖書も原語のヘブライ語やギリシア語と比べると、日本語訳になった時に忖度されている気がしてなりません。

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