印西インターネット教会

菊川ルーテル教会伝道説教

説教題「神の国に入る者」マルコ福音書10:2-16 
讃美歌21  7番 434番405番 81番 88番
特別の祈り 
主なる神様、あなたは私たちのあやまちや疑いを忍耐してくださっています。私たちが、あなたのことを自分勝手に判断する罪をお赦しください。そして、幼子のように心からあなたを信頼する信仰をどうかお与えください。父と子と聖霊のみ名によってお祈りします。

神の国に誰でもはいれると思っていますか。こんな話があります。昔、ある外国の村にサーカスがやってきました。特に村の子供たちは大喜びでした。空中ブランコとか、象やトラを使った曲芸も見られますし、面白いピエロも登場します。ところが、その村に貧しい少年がいました。親は既に死んでしまい、親戚の家で生活していました。その家も貧しかったので、サーカスを見る入場券を買うことができません。少年は、ある日、何百人もはいるサーカスの大きなテントの周りを歩いて中に入る隙間をさがしました。隙間があったので、そこに頭を突っ込んで入ろうとしました。すると、警備員が来て足から引っ張られて出され、「ここから入ったらダメだ、入場料を払って入らいなさい」と言われました。少年はがっかりしました。しかし、次の日もテントを見に行くと、違う警備員が立っていました。そして、違う場所に、テントと地面の隙間を発見しました。今度、少年は足からテントに体を入れました。すると、警備員が走ってきて言いました。「坊ちゃん、ここから出てはだめだよ。」そして、少年をテントの中に押し込みました。少年は、無事にサーカス会場に入れて、曲芸を楽しむことができました。入場するには、いろいろな方法があるものですね。わたしたちが、天国に入るのは、この少年以上に難しいことです。どのようにしたら、「神の国に入る者」になれるのでしょうか。それをイエス様は教えています。
今日の日課の前半では、離婚についての問題が出ています。2千年前の社会は、男性中心でしたから、モーセの律法によって、男性が離縁状を書けば離婚していいいことになっていました。しかし、イエス様は、神が結び合わせたものを離してはならないと教えました。そして、特に、弟子たちには、男性も女性も平等の立場であり、勝手に相手を捨ててはいけないとさとしました。ここまでは、社会問題についてです。次の場面で、「神の国に入る者」とは幼子のように、神の国を受け入れる人だと教えました。
つまり、ここではっきりしているのは、サーカスのテントに入る少年や、入学試験を受ける学生のように、この世から、神の世に入ることとか、入るための方法、あるいは入る資格についてイエス様は語らなかったことです。
もし、天国に入る資格として、立派な人だとか、オリンピックの金メダルだとか、マザーテレサのように人助けしたひとだとか、条件があるのならば、それは選抜であり、無条件の神の愛とは別のものです。福音ではありません。
 イエス様は、神の愛にもふさわしく思われていなかった、社会の底辺の人たちに福音を伝えたのです。ですから、イエス様の教えには条件がありません。無条件です。しかし、ここは大切な点ですが、無条件で誰でも天国に入れますよと教えたのでもありません。それは万人救済説と呼ばれます。キリスト教では、異端です。ですから、わたしたちは、イエス様の教えを深く理解しなければなりません。
 では、イエス様は何と言ったのでしょうか。それは、14節と15節に書かれています。14節では、ギリシア語原典では、「子供たちは天国に属する」と書かれています。これから、天国に入るのではなく、すでに天国にいる存在なのです。他の翻訳を見てみましょう。ギリシア語に忠実な翻訳で知られている永井直治個人訳では、「神の国はこの如き者らのものなればなり」となっています。ドイツ語訳では「神の国はこれらの者のようである」となっています。新共同訳では、「神の国はこのような者たちのものである」となっています。これでは、神の国は、子供たちの所有するものなのだと誤解されます。原典が伝えているイエス様の言葉は、子供たちは神の国に属するということです。そして、この「子供」という言葉にはテクノンではなくパイディオン(幼児、しもべ、メシア)という用語が用いられています。そして、だれもが天国に入れるのではなく、幼子のようにならなければ天国には入れないのです。何故なら幼児には、幼児を愛する親がいるからです。
なぜなら、イエス様は神様のことを、超越者ではなく、父と子、あるいは親と子の関係で考えたからです。その典型がルカ福音書にある「放蕩息子の譬え」です。
財産の半分を浪費して身を持ち崩した息子を毎日待っていたのはお父さんでした。まだ息子が遠くにいるのに走って行って抱きしめ、帰って来たのを喜んだのです。つまり、これが、イエス様が教えた神の姿です。神は愛なりとヨハネの手紙に書いてありますが、イエス様はまさにこの愛されている子供としての私達、つまり、パイディオンのわたしたちと、わたしたちが過ちを犯しても、愛情深く待っている父親の姿との関係、親子関係で神の存在を教えたのです。これは、遠い、イスラエルでの出来事です。しかし、愛の親子関係なら日本にもあります。それを歌にしたものがあります。「岸壁の母」です。これは、第二次世界大戦のあと、シベリアに抑留された息子が、舞鶴港に帰ってくるのを10年間待ち続けた端野いせさんという母親の姿を歌ったものです。「〽母はまたきた今日も来た、この岸壁に今日も来た」で始まる曲です。この歌の作詞者は、藤田正人という静岡県牧之原市の出身の人です。彼は、人間の悲しみや苦労を題材として人の心をうつ作詞しました。例えば、古いものでは「麦と兵隊」、「大利根月夜」があります。「大利根月夜」の中に登場する平手みきとは千葉道場ナンバーワンの剣術の達人でしたが、身を持ち崩してヤクザの笹川一家の用心棒になり、結核で体も弱り、飯岡の助五郎一家との乱闘で殺された人物です。藤田正人のほかの作品には、「浪花節だよ人生は」、「傷だらけの人生」などがあります。そのなかでも、最高傑作は「岸壁の母」です。これを、あの悲劇の人、藤圭子が歌ったものがまた最高です。涙なしにはきけません。石原裕次郎が、渡哲也のために歌った「岸壁の母」もしみじみしています。それは暴れ者だった哲也が立派になったのは、母親の苦労があったからだそうです。
 台湾でもこの曲は人気がありました。多くの歌手が日本語を入れて立派に歌っています。ある曲には、岸壁の父という題までついています。つまり、親の愛を歌っているのですからこれもありですね。聖書では、放蕩息子を待つのはお父さんになっていますが、その意味するところは、わたしたちを創造してくださった親である神様が、わたしたちが無事に帰るのを待っているということです。
 あの「岸壁の母」の歌の背景は第二次世界大戦後の、ロシア軍による50数万人もの中国在留の日本人のシベリア抑留です。冬には零下30度以下になる厳寒の土地で、食べ物も十分に与えられず厳しい強制労働を強いられた人々は半数が異国の地で死亡しました。岸壁の母のモデルとなった、端野いせさんというお母さんも、10年間舞鶴港で息子の帰国を待ちましたが、ついに再会することはできませんでした。イエス様の譬えで、放蕩息子は親元に帰っています。この譬えと、「岸壁の母」が意味するところは同じです。故郷には、自分を愛し、自分の苦境を心配して立ち続ける親がいる。そして、放蕩息子や放蕩娘である人間は、神のもとから離れて、シベリアの人間奴隷のような苦心惨憺を経験しているということです。ですから、救いというのは、わたしたちの立派さや行いではなく、神の絶対愛と忍耐して待つ神の親心を信じて帰港することです。それが、神の国に入る者です。

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