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西田敏行さん死去

俳優の西田敏行さんが76歳で亡くなりました。西田敏行さんといえば、「釣りバカ日誌」で有名でした。本当に楽しい役柄を演じて観客を楽しませてくれたと思います。ただ、彼の最後は寂しいものだったと思います。ベットで冷たくなっているのを付き人が発見したというのです。死ぬほどに具合が悪くなっていたのに、家族の者たちはなんで不在だったのでしょうか。あるいは、予期せぬ突然の死だったのでしょうか。そのどちらの状況だったとしても、どんな人にも死の訪れは必然的です。聖書にはこう書かれています。「人の子らに関しては、わたしはこうつぶやいた。神が人間を試されるのは、人間に、自分も動物にすぎないということを見極めさせるためだ、と。人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ。同じ霊をもっているにすぎず、人間は動物に何らなさるところはない。すべては空しく、すべては一つのところに行く。すべては塵から成った。すべては塵に返る。」(コヘレトの言葉3:18以下)これを読んで思うのは、わたしが葬儀の際に何度も使ってきた火葬の式文です。「どうか、悲しみの涙をぬぐい去り、目をあげて、よみがえりの主を仰がせてください。地上のからだは滅ぶとも、主のみ力は、新しき天と新しき地のなる日に、卑しいさまのからだをかえ、栄光のからだにかたどらせてくださいます。主よ、キリストにより、復活と限りなき生命にいたるたしかな望みを抱き、なきがらを今、火にゆだね、土を土に、灰を灰に、塵を塵にかえします。」ただ、この言葉が、旧約聖書のコヘレトの言葉と少し違うのは、同じ塵の存在であっても、空虚の中に消える塵なのか、それとも新しい命へとリサイクルされていく塵なのかという点です。キリスト教では、人生のむなしさを十分に承知のうえで、滅びの彼方に再生の希望を語り継いでいます。故マザーテレサが、社会的に無意味な存在であり、貧困の中に死んでいく人々に伝えた希望も、同じではないでしょうか。西田敏行さんの生涯の歩みをネットで読んでみたら、わたしと同じ明治大学出身で、ほぼ同じ時期に在学した人でした。不思議な縁でした。そんなわけで、西田さんに、この葬送の言葉を送りたいと思いました。楽しませてくれてありがとう。再見!

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