印西インターネット教会

3分間説教 マルコ福音書10:46-52

今回の聖書日課の背景はエルサレムの東にあるエリコの町です。わたしがエルサレムに住んでいた時に路線バスに乗って行ったことがあります。その頃は、ユダヤ人地区とパレスチナ地区やガザ地区を分断する高い壁もなくて、実に平和な時代でした。このエリコから徒歩で誘惑の山に登ったことも覚えています。エルサレムは標高千メートルの高地にありますから、雪が降ったこともありますが、30キロほど離れたエリコは逆に海面下400メートルくらいの低地にあって、バナナなども自生している亜熱帯の場所でした。ここは昔から交通の要所であり、文明の栄えた場所でもありました。そこをイエス様の一行が通った時に、盲人のバルティマイが、イエス様に癒しを願ったという話です。ギリシア語原典を読んで気になる点は、バルティマイがイエス様の地位を引くために、「エレイソン、エレイソン」(憐れんでください、という意味)と叫んでいる場面です。この言葉は、現代の礼拝式文にも「キリエ エレイソン」(主よ憐れんでください)として取り入れられている大切な表現です。弟子たちは彼を邪魔に思いましたが、イエス様は「エレイソン、エレイソン」と叫び続ける彼を呼びにやり、「あなたの信仰があなたを救った」と言って癒しの奇跡を行いました。ここでわかるように、「信仰」とは何かの宗教的な信念ではなく、神の憐みと赦しを求め続ける罪人の姿なのです。ルターは、このことに関して、神の前に乞食のような姿勢で恵みを求めることが大切だと言っています。この世には何の希望もなく、ただ唯一の希望は愛の神の憐みだけだと実感することが信仰なのです。そして、神のみに希望を置く信仰において、不可能と絶望の壁は崩れ去るのです。わたしたちも、不可能と絶望に取り囲まれるときがありますが、わたしたちに必要な第一のことは神の憐みを求めることではないでしょうか。そうすれば、壁の反対側に、明るい未来が待っていることを実感するでしょう。キリエ エレイソン‼

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