印西インターネット教会

待降節菊川教会伝道説教

12月1日菊川教会礼拝
聖書個所 ルカ福音書21:25-36
説教題「諸国の民の騒ぎを鎮める方」
特別の祈り
主なる神様、どうか、重荷に悩むわたしたちのもとに来て、あなたの力を示してください。わたしたちの悩みの原因となっている罪の支配を終わらせ、わたしたちに開放の喜びをお与えください。父と子と聖霊のみ名によって、お祈りいたします。アーメン
讃美歌21: 258番、405番、458番、81番、88番

クリスマスを迎える待降節になりなしたね。これから、クリスマスまでの4週間は、アドベントと呼ばれています。アドベントとはアドバンスなどと同じ意味の言葉であって、前進してやってくるという「意味です。つまり、今日の福音書の日課の題に書いてあるように、人の子がやってくること、つまり、救い主がやってくること、これが、クリスマスの意味ですね。苦しみます、ではないですね。
でも、今から30年ぐらい前に、ルーテル教会を出て、千葉県で開拓伝道をしていたころには、小さい子供たちが4人いて、クリスマスが来ると、嬉しいと同時にちょっとクルシミマスでしたね。それは、生活するのがやっとで、子供たちにクリスマス・プレゼントを買う余裕がなかったからです。自転車とかゲーム機などの高いものは無理だったので、池袋に行って安くて楽しいものを見つけたものです。今でも持っていますが、家族から私自身へのプレゼントにはグレーのセーターを買いました。500円でした。
貧しい、クリスマスと言えば、貧乏な夫婦が、妻は長い栗色の髪を切って売り、夫の金の懐中時計のための金の鎖を買い、夫は妻の美しい栗色の髪のために金時計を売って宝石が埋め込まれた高価なべっ甲のかんざしを買ったという、オー・ヘンリーという作家が書いた「賢者の贈り物」という話が有名ですね。クリスマスの日に残ったのは、時計のない鎖と、長い髪のないべっ甲のかんざしでしたが、貧しい二人は、大切なものを売って相手のために尽くしてくれた気持ちがつたわって、とても暖かい思いでクリスマスを迎えることができたのです。
これも、アドベントの意味ですね。救い主とは、貧乏や不幸、病気などで苦しみやすいわたしたちのために、神様が神の子イエス・キリストの貴い命を犠牲にしてまでも、わたしたちに喜びの人生をプレゼントしてくれたということです。
今日の福音書に書かれているように、救い主が来る前に、この世界に何が起こるかわからないで、おびえたり、気を失ったりすると書かれています。この聖書がかかれた2千年前は、自然現象としてこうした事件をかんがえていたのでしょう。しかし今は、天体衝突のような自然現象だけでなく、核兵器があります。アメリカが開発した核兵器は広島に落ちた核爆弾の24倍も威力があるそうです。そして、アメリカとロシアでいくつの核兵器を持っていると思いますか。5千個と5千個です。合わせると1万発ですよ。これが使われたら、地球は完全に破壊されますね。聖書が予言するような事態になるわけです。でも、そうした世の終わりのようなことが起こっても、おれが終わりではないとイエス様は語ったのです。今日の日課の少し前で、イエス様は、どんなに困難な時が来ても、「あなた方は命をかち取りなさい」とおっしゃっていますね。今日の個所にも、「身を起こして頭をあげなさい、あなたがたの解放の時が近い」と教えられています。そして、「いつも目を覚まして祈りなさい」と教えています。なぜなら、クリスマスの前にはアドベントがあるからです。諸国の民が戦争だとか、宇宙の爆発だとか、いくら騒いでも、その騒ぎを鎮める方が必ずいらっしゃる、それがクリスマスの意味なのです。わたしたちの人生も同じです。英語の歌の歌詞に、パーティー・イス・オーバー、(宴会は終わった)というのがありますが、人生の楽しい宴会が終わり、厳しい冬と暗黒の日々が来ても、なお、信仰を持つ者には待降節がありアドベントがあるのです。わたしたちが苦しい時も、なすべきことはただ一つです。身を起こして頭をあげ、よろめいたり動揺せずに、しっかり立ち、弱いものを助け、解放の時が近いと信じ、いつも目を覚まして祈り続けることです。これをギリシア語原典では、目を覚まして眠らないだけではなく、自制してといういみです。また、単に祈るではなく、これはデオマイであり、祈願する、懇願するの意味です。つまり、イエス様は、どんな困難なことがあっても、きっと救い主が来るから、あきらめず、迷わず自制して救いを願い続ければ必ず解放されると約束してくださったのです。救い主の到来、つまりアドベントとは、わたしたちをあらゆる困難から救うために、神様が貴い御子イエス・キリストの命を犠牲にするために地上に送ってくださったことを意味します。その犠牲を、文学的に表現したのが、オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」にある懐中時計のない金の鎖と、髪のないべっ甲のかんざしだったのです。そのことを覚えて、今年も心から感謝して、救い主イエス・キリストの誕生をお祝いしましょう。

モバイルバージョンを終了