三分間説教
ルカ福音書3:7-18「不滅の炎」
待降節第三主日となり、クリスマスも近くなりました。クリスマスは、ご存知のとおり救い主の誕生を祝う日です。ただし、わたしたちに何故救い主が必要なのかを考えていない場合も多いのではないでしょうか。今日の聖書の個所を詳しく吟味しない限り、わたしたちにとって救い主は、「困ったときの頼れる神の使者」、「優しい友達」、「神の贖い主」などの意味しか持たないでしょう。その理解自体は悪いことではありません。しかし、福音書が描かれた当時の緊迫した状況を反映するものではありません。カール・バルトが「ナイン、絶対否定」の状況を提示したように、救い主の誕生は、平穏ななかでの出来事ではなく、神のギリギリ限界的な危機状況での出来事だったのです。それを、一番顕著に露出しているのが、今日の日課の17節にギリシア語で書かれている、「プリ アスベスト」ではないでしょうか。この部分は、新共同訳聖書では「消えることのない火」と訳されています。以前の口語訳聖書では、「消えない火」となっていて、意味はほぼ同じです。ギリシア語原典に忠実な訳で知られている永井直治私訳聖書ではどうでしょうか。「火息(き)えざる火にて焚(や)きつくし給うべし」となっています。ここで「火息(き)えざる火」というのが、「プリ アスベスト」です。もっとこまかくみますと、この場合の火(プリ)とは、ギリシア語辞典では、単なる火ではなく、「地獄で燃える神の怒りの火」となっています。一方、アスベストの方は、あの悪名たかい石綿のことであり、これは下記の引用文にあるように半永久的に変質しないという意味です。ですから、救い主の誕生を祝うというのは、地獄で燃える神の怒りの火から、つまり不滅の炎から、わたしたちをお救いくださる貴い方がおうまれになったことを感謝して祝う日のことです。それを考えると、救い主の誕生は人生において深い意味をもつことでしょう。
環境中においては、石綿の安定性及び環境蓄積性が問題となる。すなわち、通常の環境条件下では、半永久
的に分解・変質せず、また、地表に沈降したものも再発じんすることがあるため、その存在期間は極めて長いことが
指摘されている
石綿肺は、石綿の健康影響として最も早くから注目されている疾患で、職業上比較的高濃度あるいは長期に
わたって石綿を吸入した労働者に起こるじん肺の一種である。吸入した石綿が細気管支や細胞に刺激を与えて炎
症を起こし、次第に終末肺気管支周辺や肺胞間質の線維化をきたし、肺機能障害を起こすことになる。ばく露か
ら日が経っていない段階で石綿肺が検出されることはほとんどなく、初期段階の石綿肺の場合でも、最初のばく露か
ら 10 年以上経ていることが多い