印西インターネット教会

百人一首の中の三大悲劇と旧約聖書の中の悲劇

頭の体操のために百人一首を少しずつ暗記しています。そんなときに気づいたのですが、心にしみる悲しみの歌がいくつかあるのです。今回は三句あげたいと思います。「世の中は常にもがもななぎさ漕ぐあまのを舟の綱手かなしも」鎌倉右大臣(源実朝)  「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな」藤原義孝  「あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびのあふこともがな」和泉式部
最初の実朝の歌は、「世の中の様子が、こんな風にいつまでも変わらずあってほしいものだ。波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟が、舳先(へさき)にくくった綱で陸から引かれている、ごく普通の情景が切なくいとしい」という意味だそうです。鎌倉幕府三代将軍実朝の願いはかなわず、26歳で斬殺されてしまいます。百人一首の選者である藤原定家の愛弟子として力量を発揮していた人でしたが、惜しくも、無慈悲に変わる世の中の波にのまれて消え去ってしまいました。次に、藤原義孝の和歌ですが、これは女子高生にはナンバーワンの人気を誇る歌だそうです。説明がなくてもなんとなく気持ちは伝わってきますが「あなたに逢うためなら惜しくはないと思っていた私の命までも、(あなたにお逢いできた今は)長くあってほしいと思うようになりましたよ」という意味だそうです。これのなにが悲劇かというと、藤原義孝は、信仰心が篤く容姿も優れていたのですが、彼の和歌とはうらはらに、当時流行した疱瘡にかかり、兄・挙賢と同日に21歳の若さで没してしまったからです。最後の和泉式部の歌はどうでしょうか。これは「私は死の床にあります。もうすぐ私は死ぬでしょう。あの世へもっていく思い出に、もう一度だけあなたにお逢いして、愛していただけたらと思うばかりです」という意味です。与謝野晶子は「情熱的な」歌人として和泉式部を高く評価したそうです。この和歌からも、そのような熱い思いが伝わってきます。さて、これらの和歌に共通するのは、「もがな」(そのようであったらいいのにな~)という表現に込められた切なる願いです。それが、実に切ないのです。現実がその正反対だからです。これは、まさに悲劇としか言いようがありません。しかし、悲しみが極致に達しているからこそ、深遠な美しい影を投げかけているように感じます。一方で、旧約聖書の中の悲劇はどうでしょうか。いくつかあると思いますが、わたしたロトの妻のことを挙げたいと思います。ロトは、ユダヤ民族の創始者であるアブラハムの甥です。彼とその妻は、悪名高いソドムの町に住んでいました。神が天使をロトにおくって、こう告げさせました。「さあ早く、あなたの妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう。(中略)命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはならない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる」(創世記19:15以下)しかし、逃げる途中でロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった、と書かれています。わたしはイスラエルに住んでいた時に、いろいろな場所を訪問しましたが、ソドムやゴモラがあったと想定される場所も含めて、北のガリラヤ湖から南の紅海までは巨大な地溝地帯となっていて、今も間欠泉が噴出していたり、地震があったりして、火山活動の活発な地域だったことを想起させる場所でした。そして、ソドムとゴモラも硫黄の火が降ったということは、一種の火砕流が起きたと考えられます。その火砕流に巻き込まれて、ロトの妻が塩の柱になったというのは、十分に考えうることだと思います。これは、自然現象による事故なのですが、「振り向くな」と命じられていたのに、振り向いてしまったロトの妻の思いが切ないですね。どうしても心残りがする過去を振り切れなかったのでしょう。それは、人間的な思いだと思います。神のみ使いの言葉を信じ、その通りに逃げたロトは、信仰上の優等生かもしれません。しかし、パウロも言っているように、すべきことができず、すべきでないことをしてしまう弱さがあるからこそ人間であり、そこに悲劇が生まれるのではないでしょうか。わたしたちは、ロトの妻のふるまいを責めることはできません。しかし、ロトの妻が焼け焦げて灰になってしまったのではなく、せめて白い塩の柱になって残ったことが、唯一の慰めかなとも思います。源実朝、藤原義孝、和泉式部たちも、今は亡き人々です。しかし、彼らの残した美しい歌の柱は消えずに残り、いまもかれらの想いを語り継いおり、涙なしには読めません。そういえば、わたしたち一人ひとりの悲しみもまた、神は何かの形で残してくださるのでしょうか。それが神の摂理というものなのかもしれません。

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