幸いにも、女性判事におおきな怪我はなかったようです。しかし、裁判官の席は箱型の枠に囲まれた壇上にあるのですから、下の被告人席からそこまで飛び込んで裁判官を抑えつけた、非凡な体力と相当な憎しみがあったにちがいありません。また、裁判の経過の様子のビデオをユーチューブでみていて、不可解なことがありました。判決を下す中年の女性判事の態度が、実に尊大で冷酷なのです。被告は、小さな罪のために、再び刑務所に送らないでほしいと嘆願していたようです。おそらく、この裁判官の態度が、被告人の気持ちを爆発させたのでしょう。裁判官の名前は、MARY KEY HOLTHUS(メアリー・ケイ・ホルサス)でしたので、英語の記事を検索して調べてみました。すると、ある判例のことがでていました。その、背景を考えますと、もともとMARY KEY HOLTHUS氏は裁判官ではなく、検事の仕事を長くやっていたようです。そして、裁判官になりたい希望を述べたとき「27年経った今、誰が刑務所に行く必要があるのかを判断できると思います」と彼女は言ったそうです。そして、裁判官になった彼女が下した判決では、被害者の方から苦情がでています。それは親同士の争いで、ホルサス裁判官が母親のデボラ・セナを終身10年の刑務所に送ることに何の躊躇もなかったからです。
「デボラ・セナは17年前に私たちの生活にやってきました。彼女と一緒に過ごした時間を通じて、彼女は家族の稼ぎ手であり、子供たちの養育者であり、責任感があり、冷静な大人でした。彼女は私たちの最高の保護者であり、ロールモデルであり、私たちを守るためにできると信じていたすべてのことをしました。彼女は最終的に、私たちがクリストファー・セナ(父親)から脱出するのを助け、彼を当局に引き渡した人物でした…あなたとあなたの事務所が私たちの母親を罰しているので、私たちは悲しみ、怒っています。あなたが私たち被害者を罰し、母親を奪っていることに、私たちは悲しく、怒りを感じています。あなたが私たちと私たちの利益を代表していると言うのはやめてください。あなたはそうではありません!私たちは、真の正義が果たされるよう、あなた方に懇願します。どうかクリストファー・セナを一生投獄してください。彼は私たちにとって、そして社会にとって危険な存在です。ウォルフソンさん、私たちの母たちを釈放してくださるようお願いします。母たちは、父に虐待された罰として、すでに1年半近く刑務所で服役しています」
MARY KEY HOLTHUS(メアリー・ケイ・ホルサス)は被害者の利益を守っているというのが口癖だったようですが、それは事実ではなく、「誰が刑務所に行く必要があるのかを判断できる」ことに、優越感と快感をもった冷酷な人だったのです。一言でいえば、「愛のない裁判官」だったのです。聖書では、愛が最も大切な行動基準であることが教えられていますが、政治にしても司法にしても、愛のない者が指導的な立場にたつ現象が多くみうけられますね。世の終わりについて書かれたヨハネの黙示録にこう書いてあります「しかし、あなたがたに言うべきことがある。あなたがたは初めのころの愛から離れてしまった。」(ヨハネの黙示録2:4)現代の教会でも、傷ついた人たちが教会に来るのを温かく愛をもって歓迎する信徒は少なくなり、静かに祈ったり説教を聞くためだけにきている愛のない人々が増えているのは残念なことです。ルターが嫌ったと言われるヤコブの手紙ですが、「人に憐みをかけない者には、憐みのない裁きが下されます」(ヤコブの手紙2;13)と書かれており、やはり、愛が大切なのだなと痛感します。今回は、愛のない裁きについてでした。みなさんは、どう思いますか。