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ヘブライ語でとなえた詩編23

語学の学習と言えば、アメリカでの神学校時代に、ヘブライ語が必修でした。日本語で勉強しても難しいわけですが、外国語である英語の文法用語を使って、そのまた古代外国語であるヘブライ語を学ぶのですから冷や汗ものでした。アメリカの神学校では、不可(F)や可(M)が一つでも二学期続くと退学になります。ですから、自分なりに必死でした。アメリカ人の学生たちも、学期が進むにつれて減っていきます。ギリシア語の方は、一年生の授業が始まる前に、夏期講習に出て成績優秀で済ませる事が出来ましたが、ヘブライ語が心配の種でした。なにしろ、文字が違います。それに書き方も英語のように左から右ではなく、右から左です。幸いなことに、ヘブライ語の期末試験は、ヘブライ語で詩編23編を暗記して、教授の質問に答える事でした。辛かったのですが、これが役に立ちました。一か所を徹底的にやると、全体が楽になるものです。学生運動に参加していたころ、「一点突破、全面展開」、という表現を聞いたことを思いだします。これは事実だと思います。後に、牧師となってからイスラエルに留学した時も、詩編23編を暗記したおかげで、ヘブライ語にたいする違和感は無くなったのです。それだけでなく、3千年くらいまえに、ダビデがとなえた言葉を、同じ音調で、「アドナイ・ロイー」ととなえると、気持ちが入っていくのがわかります。やはり、言葉は魂なんです。そういえば、ヘブライ語の教授もイスラエルで学んだと言っていましたが、自分がイスラエルに住んでいた時に、ユダヤ人のイェシバという学校に見学に行きました。そこで見た光景は忘れることができません。日本の学校は静かですが、ユダヤ人の学校の騒々しさはスゴイものでした。何故なら、生徒は座っておらず、教室内を立ち歩きながら、体を揺さぶり、大きな声で学課を唱えて、暗唱していたからです。これは、理にかなう事であって、脳内化学的には、一旦記憶回路ができると、それに増設することはそんなに困難ではないそうです。確かにそうです。詩編23編も、そういう意味で役に立ったのです。ですから、これから外国語を習得しようとする方も、最初は辛いけど、一文を暗唱することをオススメします。わたしが、中国語を学び始めた頃には、テレサ・テンの「何日君再来」を暗記して歌ったものです。この方法も、詩編23編の応用に過ぎません。ただ、これにはさらにスゴイ話が付随します。これはイスラエルで買った本に書いてあった事です。その昔、ラビ(ユダヤ人の牧師のような人)が旅行して、あるユダヤ人の家に泊めてもらいました。ユダヤ人家庭には、聖書のほかに、タルムードといういわば百科事典のような聖書や生活の解説書があります。分厚い本が20巻ぐらいと考えるといいでしょう。そのラビは日課として家主からタルムードを借りて読んでから就寝しました。翌朝、ラビは出発の際に家主にこう言いました。「ご親切に対して何のお礼もできませんが、昨晩、お宅のタルムードを読んでいたら1ページ欠けていることに気づきましたので、わたしがその部分を書き足しておきました。」イェシバで、学生たちが叫んでいたのも、記憶回路を確定するためです。トロイ遺跡を発掘したシュリーマンも古代言語を習得しましたが、その学習方法も変わった者でした。メイドを雇って、何も理解できない人に、古代語で語りかけ続けたのです。考えていたらダメなのです。語ることです。暗唱することです。明治維新をおこした若者たちは、ものすごい速さで、オランダ語や英語を習得できたそうです。その秘密は、彼らがすでに論語を暗唱できていて、脳の中の記憶集積回路が完成していたからです。言語の習得の極意はここにあると、いまでも思っています。現在の夢は、イタリア語を習得して、イタリアに行きローマ文化に触れることです。

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