テレビの方の番組「ウォーターボーイズ」でデビューした山田孝之もだいぶいいオッサンになっています。「ウォーターボーイズ」はわたしの出身校である埼玉県立川越高校の水泳部の実話をもとにしているので、親しみがわきました。あと、山田孝之さんの演技では、「闇金ウシジマくん」の印象が強いです。その強面だった彼が、人生で一番大事なのは愛だ、と言っています。これは意外でした。ただ、愛という言葉は誤解を生みやすいものです。わたしたちも自分では愛していると思っていても、それは自我からでた欲かも知れません。ストーカーなどはこの一例です。一方で、山田孝之さんは、この愛を、「思いやり」と言い換えています。さすがだなと思いました。その昔、キリスト教が初めて日本に来た時、愛という言葉の翻訳に困ったそうです。なぜでしょうか。聖書には、「神は愛である」(ヨハネ第一の手紙4章8節)と書いてありますし、愛という表現が多く見られます。ところが、漢字の「愛」という文字は、仏教の伝統では、愛着とか執着を意味する言葉であり、タブーだったのです。そういえば、直江兼続の兜にも「愛」と書いてありましたが、あれも敵をせん滅し尽くす執念をあらわしる戦闘的な言葉だったわけです。実際に、八王子城攻略の際には、婦女子もすべて殺害し、市内を流れる浅川が紅く染まったそうです。そんなわけで、思い悩んだ初代の日本のクリスチャン達は、愛という言葉を、「神の御大切」と訳したそうです。これは日本文化からいうと適切な訳だったと思います。そして、最後にわたしが書きたかったのは、山田孝之さんが愛の事を、「おもいやり」と言い換えていることです。これは、とても美しい日本文化に適合した表現だと思いました。「神は愛である」より、「神はわたしたちを大切にして下さっている」あるいは、「神はわたしたちに思いやりをもっておられる」、と訳した方が心にジーンと響く気がします。