「あなたの答えは?」 マタイ16:13-20 聖霊降臨後第12主日
人生には色々な出来事があるものです。一つの物語ともいえるでしょう。今から約3200年も前に、モーセは神の導きによって、ユダヤ人解放の言葉を、エジプトで奴隷にされていたユダヤ人民衆に告げました。しかし、彼らはモーセの語る神のお告げを聞こうとしませんでした。わたしもエジプトには行ったことがありますが、40度以上の灼熱地獄の中で立っているだけでも苦しいのに、その上に重労働をさせられていたら、神の言葉を聞く心の余裕がないのは当然だと思いました。「こんなに辛いのに、我々に必要なのは、一杯の冷たいビールであって、理解できない神の言葉ではない」、と感じた人も多かったでしょう。(余談ですが、高温、高度乾燥地帯では、素焼きの壺に液体を入れると、側壁からの気化熱で、中の液体は冷たくなるそうです。)
ところで、各自には各人なりの人生ストーリーがあるものです。先日は、終戦後75年を迎えましたが、ある老人ホームで出会ったお年寄りの女性は100歳を越えていました。わたしの母が大正9年生まれで今年100歳ですから、大正5年生まれのその方は、まだ生きておられれば104歳だと思います。
この方は、終戦を満州で迎え、帰国するまではとても苦労されたそうです。当時は敗戦国の日本人には食べ物がなく、厳しい状況の中で可愛いさかりの4人のお子さんたちが次々と死んでしまったそうです。それを淡々と話してくださいました。彼女には彼女のストーリーがあったわけです。モーセにも彼の波乱万丈の人生があり、わたしたちにも自分の物語があります。
今日の福音書にも物語があります。イエス様はとても広い範囲で、ユダヤ人の会堂を訪問して福音を告げてまわりました。大勢の人々が癒しや救いを求めて集まりました。しかし、彼らは群衆であって、用が済めば去って行ってしまう人々です。わたしたちの人生物語の中でも、用事が済んで、舞台裏に消えていった人々がいるでしょう。ただ、弟子たちにとってイエス様はそうした一過性、一時的な方ではなかったようです。フィリポ・カイサリア地方に行った時に、イエス様は弟子たちに、人々がイエス様のことを何者だと言っているかを尋ねました。
イエス様は、弟子たちのリーダーだったペトロにも、あなたの人生の物語の中で、わたしは一体何者なのか、あなた自身の答えは何なのか、と尋ねました。人によっては、イエス様を親切な愛の人と考え、自分もその模範に従って生きたいと考える人もいるでしょう。そうした理想もいいですが、人生の物語が進んでくると、理想は若いころの思い出になってやがて消えるかもしれません。日本では、若いころにキリスト教に影響されたが、いつの間にかそれは舞台裏に消えてしまった、という経験を持った文学者が数多くいます。
イエス様がペトロに尋ねた、「あなたは、わたしを何者だと思うか。あなた自身の答えは何か」という質問ほど人生を左右する問いかけはないでしょう。ペトロは答えました。イエス様は、メシアであり神の子である。親切な人、ヒーラー、奇跡を行える超人、預言者などではなく、神の子、まさに救い主そのものだと告白したのです。
しかし、その答えよりも、その後のイエス様のお言葉がさらに重要だと思います。あなたに、この事をあらわしたのはあなたではない。貴方の答えでありながら、それはあなたのものではない。人間の知恵でもなく、天の父なる神の聖霊によるものだと、イエス様は言ったのです。おそらく、それまでのペトロの人生は、自分で決め、自分で行い、自分で喜び、自分で反省していたでしょう。天から与えられない限り、誰の人生ストーリーも、自作自演なのです。その自己中心性のことを、聖書は「罪」と定義します。
イエス様を、単なる立派な人と考えるのではなく、神の子キリスト、救い主と告白できることは、すでに罪が取り除かれることでもあります。わたしの好きな言葉ですが、キリシタン大名であった大友宗麟の死をみとった宣教師がローマに書き送った書簡にこうあります。「彼の人生は骨肉相争うものだった。しかし、彼は聖者のごこく逝けり。」大友宗麟の人生のラストシーンは、罪を贖われた幸せな者の姿だったのです。
ペトロの答えこそは、実に大切な信仰告白であり、教会の土台となりました。わたしたち自身の物語が、わたし自身の物語から、わたしの人生の中の「神の物語」に書き換えられていくときに、福音が告げられます。ローマ書10:10にも「心で信じ、口で告白して救われる」と書いてあります。その後、ペトロはいくつかの惨めな失敗をしました。しかし、それによって救いが帳消しにされることにはありませんでした。わたし自身もこの恵みを信じています。自分のストーリーではなく救い主による「神の物語」に変えられるからです。みなさんの物語の答えは何でしょうか。今日もイエス様は、優しく問いかけておられます。