書評

笠原一男著、「蓮如」、吉川弘文館、1969年

笠原先生については思い出があります。わたしは明治大学文学部西洋史学科で学びましたが、その授業の一つで宗教学をとりました。当時のわたしは、共産主義者でしたから、マルクスやフォイエルバッハが言ったように、宗教は民衆を騙すアヘンに過ぎないと思っていましたが、一応の知識も必要だと思ってこのコースを履修したわけです。授業は、今はない御茶ノ水の旧校舎のなかの大教室でおこなわれました。驚いたことには、笠原先生が一学期中に教えたのは親鸞のことだけでした。それも実に楽しそうに教えたのです。数ある授業の中でも、50年たった今でも心に残っているのは笠原先生の授業だけです。調べてみると、笠原先生は、それまで東京大学の教授をされていて、退官したあとに明治大学の授業を受け持っていたようです。わたしもその当時は、自分が宗教の道に進むとは夢にも思ってみませんでした。この「蓮如」という本も、笠原先生ぬきには考えられません。それに、キリスト教神学を学んだあとには、蓮如という人がまるで新約聖書のパウロのように、貴重な教えを人々にわかりやすく伝えたということがわかり、心を打たれます。蓮如の苦労も身近に感じられました。「蓮如の布教活動が成果を生めば生むほど、諸宗からの風当たりも強く、弾圧も激化していった。」(119頁)ただ、こうした弾圧に対してとった蓮如の方法は、信仰者の団体の組織化だったのです。「坊主と年寄と乙名とを真宗の正統的教説=本願寺の教説にしたがわせれば、ほかの一般の百姓は簡単に村ぐるみ本願寺派の信仰になびいてくる。これが、蓮如の布教方針ともいえるものである。蓮如はおどろくべきほどの正確さで、当時の村の実態をとらえているといえよう。」(122頁)キリスト教が驚くほどの優れた教説を有するにも拘わらず、日本ではほとんど理解されないのは、蓮如のような人物が現れていないからではないでしょうか。

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