印西インターネット教会

百年に一度という言葉の乱用

今回の台風10号に関しても、遙か南の太平洋上にある時から、海水温が異常に高いので、百年に一度の大型台風だと言われていました。しかし、実際はどうなんでしょうか。普通の台風はこんなもんでしょうと、言いたくなります。勿論、警戒する必要はあります。しかし、どうでしょうか。「百年に一度」という言葉が最近はあちこちで見受けられないでしょうか。いわば、大衆扇動の言葉になっています。こんな言葉の乱用を許していたら、本当の試練が来た時に油断してしまいます。なんて馬鹿なことを、メディアを含め、国中がやっているのでしょうか。それに、「否!」を唱える人はいないのでしょうか。何度も言いますが、警戒を怠っていいと言っているのではありません。しかし、日本という国は、一つのことに心を奪われやすい性質を持っていると言わざるを得ません。以前に聞いたことですが、わたしの娘が結婚して住んでいるオーストラリアでは、国内を揺るがすような大事件が発生しても、新聞の第一面を占めるのはクリケットの勝敗結果だというのです。おなじように、わたしがイスラエルに住んでいた時に、テルアビブに住むユダヤ人から聞いたことですが、イスラエルとエジプトが六日戦争で激しく戦った時も、テルアビブの住民は海岸でいつものように海水浴していたというのです。日本人は、ですから、一つのことに情報操作されやすく、マインドコントロールされやすいのです。別の見方をすれば、自分で判断する能力が弱いのです。これに関することが、聖書にも書いてあります。それは、終末に関してです。「それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。」(マルコ福音書13章19節)「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて目を覚ましていなさい。」(マルコ福音書13章32節以下)ですから、将来のことは誰も確実には知らないはずなのに、平気で「百年に一度」といえる事がおかしいのです。わたしたちに必要なのは、警戒することであって、「天地創造以来」とか「百年に一度」とか強調することは、人間判断力を絶対化し、神を恐れぬ冒涜行為だと知ることが大切です。

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