閑話休題

晴耕雨読(希望、愛、健全な身体、教育)

友人の農家の人から千坪(三反)ほど借りて耕しています。今は、春に向けた種を蒔いていますが、白菜はだいぶ大きく成長しています。その白菜を見ていたら、イエス様の「種をまく人の譬え話」(マタイ福音書13章1節以下)を思い出しました。種の発芽と成長に必要なのは何でしょうか。太陽、雨、深く耕されて肥料のきいた土地、そして除草です。それをわたしたちの生活にあてはめるとどうでしょうか。人間の成長に必要な要素が見られるように思えます。太陽は、希望です。聖書にも「信仰、希望、愛」愛が大切だと書かれています。アウシュヴィッツ強制収容所で生き残った人は希望を捨てなかったと、フランクルは書いています。わたしたちのコロナ禍においても希望が大切です。わたしの畑の分葱も太陽の方を向いて成長しています。希望があるから、現在の困難にも潰されないのです。次に雨です。聖書ではよく、「恵みの雨」という表現が見られます。わたしが住んだことのあるエルサレムでは、年間降雨量がたった25ミリだと聞きました。ですから、雨は神の愛のしるしとして受け止められるのです。人間も、物質的なものが全部豊かでも、愛の不足は決定的です。よく、芸能人の子弟が犯罪を犯して警察沙汰になりますが、残念なことに、親が忙しすぎて十分に愛情を注ぐことができなかった結果ではないでしょうか。さて、土地はなんの譬えになるとおもいますか。わたしは、身体のための十分な栄養と運動だと思います。どんなに、愛があっても、成長の基礎である身体が健全でなければ人生は苦しいものになるでしょう。最後の除草ですが、これはイエス様の譬えに出て来る「茨が伸びてきて苗を覆う」状態のことです。これを取り除くのは、人間の場合、教育です。教育は、大切なものと、不要なものを見分ける力を養います。こうして、白菜の成長を見ながら、人間には、希望、愛、健全な身体、教育が必要だというインスピレーションを与えられたわけです。

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