自分が何のために生きているか、答えられない時に読む説教
「あなたの答えは?」 マタイ16:13-20
人生には色々なことがあるものです。今から約3200年も前にモーセは神の導きを受けて、その言葉を同じユダヤ人の仲間に告げました。しかし、彼らは厳しい重労働の為、意欲を失ってモーセの語る神のお告げを聞こうともしなかったと書いてあります。エジプトには行ったことがありますが、40度以上の気温の中で立っているだけで苦しいのに、その上重労働したら、神の言葉がどんなに重要でも、聞く心の余裕がないのは当然です。現在でも、コロナで多くのものを失った時に、悲しみが先行し、外に目を向けることは不可能に近いでしょう。「こんなに暑くて辛い労働なのに、我々に必要なのは、一杯の冷たいビールであって、理解できない神の言葉ではない」、そのように感じた人もいたでしょう。人にはそれぞれ、物語(ストーリー)があるものです。
わたしは、わたしのストーリーの唯一の主人公です。
毎月、わたしは、ルーテル教会の社会福祉施設である東京老人ホームの朝の礼拝を担当するために、田無までいっていました。そこの礼拝には、八王子教会の会員だった方をはじめ10名前後の方々が出席されていました。勿論、女性が過半数です。そこにいつも車いすで出席されているご婦人がいました。礼拝の後でお話しする機会がありましたので、お年を聞いてみたら大正5年生まれで、100歳という事でした。まだ生きておられたら14歳くらいでしょう。ただ、終戦を満州で迎え、帰国するまではとても苦労されたそうです。当時は敗戦国の日本人には食べ物がなく、白湯に緑の菜っ葉が少し入っていれば良い方だったそうです。そんな厳しい状況の中で可愛いさかりの4人のお子さんたちが次々と死んでしまったそうです。それを淡々と話してくださいました。
彼女のストーリーはあまりにも悲しかった。
彼女には彼女の物語があったわけです。旧約聖書にでてくるモーセにも彼の、波乱万丈の物語があり、わたしたちにも自分の物語があります。福音書の箇所にも物語があります。それは、イスラエル北部、ガリラヤ湖の北にあるフィリポ・カイサリアに、イエス様のグループが行った時の物語です。ローマ軍の司令部があった別のカイサリアは、テルアビブの近く、地中海に面したところにあって、そこと区別するために、この地域の領主だったフィリポの名前をつけてフィリポ・カイサリアと呼ばれていました。
イエス様はとても広い範囲で、ユダヤ人の会堂を訪問し、福音を告げてまわりました。大勢の人々が癒しや救いを求めて集まりました。しかし、彼らは単なる群衆(悪く言えば烏合の民)であって、用が済めば去って行ってしまう人々です。わたしたちの人生の物語の中でも、用事が済んで消えていった人々が、いるかもしれません。
群衆に囲まれていてもわたしたちの孤独は消えない。
ただ、弟子たちにとってイエス様はそうした一過性、一時的な方ではなかったようです。わたしは、40年以上前にイエス様を救い主と信じ、洗礼を受けました。趣味でも、勉強でも、あきやすくて長続きしない性格なので、最初は心配でした。しかし、イエス様という方は、自分の物語の中では一時的な方ではなかったのです。
神は永遠であり、神の介在は一過性のものではありえない。
それはともかく、このフィリポ・カイサリアで、イエス様は弟子たちに、人々がイエス様のことを何者だと言っているかを尋ねました。その答えの中に出て来る、洗礼のヨハネ、エリヤ、エレミヤなどは過去の歴史の中で神に仕えた人々でした。つまり、人々はあなたを神の使いだと言っていますと答えたのです。それは弟子たちの考えではなく、民衆の考えを模倣したものでした。オウムみたいなものです。弟子たちも、フィリポ・カイサリアだけでなく色々な場所に行ってイエス様と伝道しましたが、人々の評価に一喜一憂していたのでしょう。
わたしたちも信仰のベビーのときには確信がない。
一通り聞いた後で、イエス様は、ではあなた自身の答え、あなたの人生の物語の中で、わたしは何者なのか、あなた自身の答えは何ですか、と尋ねたのです。これは、わたし自身も40年以上前に感じた問いかけでした。人によっては、イエス様を親切な愛の人と考え、自分もその模範に従って生きたいと考える人もいるでしょう。トマス・アケンピスの著作では、キリストの模倣が勧められています。そうした理想もいいですが、人生の物語が進んでくると、理想は過去の思い出になってやがて消えるかもしれません。実際に、期待感をもって教会に初めて行ってみると、いかにも世俗的な人物に出会って、どこに信仰があるのかと懐疑心をいだくことさえあるでしょう。
信仰が過去のものになっている場合も多く見受けられる。
ある時に、八王子教会の元の会員であった婦人が亡くなりました。湯河原教会の牧師から連絡が来ました。彼女は、そのとき、まだ50歳でした。八王子教会に通っておられたころには、三人のお子さんも小さかったわけです。仙台が故郷で、八王子からそちらに移られてからは教会には行ってなかったようです。そして東北の大震災の津波も経験され、親族も失ったわけです。
災害や疫病によって、人生のストーリーは意外な方向に曲げられる。
彼女は、介護の仕事をされていて神奈川の病院で働くために何年か前に秦野の方に移られたわけです。そして、難しい介護の資格試験にも受かって、これからというときに病気が重くなり亡くなったのです。教会は行っていなかったけど、葬儀は教会であげてほしいというのが願いだったそうです。彼女の物語の地上での最後のページはイエス様のもとに天に召されたところで終わっています。
人生に続編とか、第二部は存在しない。一回きりの物語である。
あなたは、わたしを何者だと思うか。あなた自身の答えは何ですか、というイエス様の問いほど重要な問いはないでしょう。間違って理解しているなら、地獄行きが確定しているのです。いや、既に、生きていること自体が地獄なのです。弟子たちは何人もいたのですが、その中で、弟子の筆頭株だったペトロが答えています。「イエス様は、メシアであり神の子である。」親切な人、ヒーラー、奇跡を行える超人、預言者などではなく、神の子であり、まさに救い主そのものだと告白したのです。
しかし、その答えよりも、その後のイエス様のお言葉がさらに大切である。
あなたに、この事を現したのはあなたではない。貴方の答えでありながら、それはあなたのものではなく、人間の知恵でもない。天の父なる神の聖霊によるものだ、と言われたのです。おそらく、それまでのペトロの人生は、自分で決め、自分で行い、自分で喜び、自分で反省していたものだったでしょう。わたしたちも同じです。しかし、この自分、自分という自己中心性(神の排除)が、聖書によれば罪の根なのです。パウロは語っています、「わたしは自分のしていることがわかりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。」(ローマ7:15)その自己中心性が、イエス様を知る前のパウロの物語でした。
イエス様を、単なる立派な人と考えるのではなく、神の子キリスト、救い主と告白できることは、人間業ではなく、すでに罪が取り除かれている証拠でもあります。自分では判断できないことだからです。わたしたちのこれまでの人生の物語の中で、嬉しいことも悲しいこともあったでしょう。わたしも、失恋(片思い)などは悲しい思い出でした。しかしそれは、あくまで自分の外面的な物語であって、内面の罪が取り除かれ、イエス様という救い主の犠牲の十字架の恩恵を信じて受容することは、自分の物語が自分の物語であることをやめ、神の救いの物語にと編集され、つくり変えられているということです。それは、後のペトロにも起こった事であり、パウロやルター、そして、最後の時を教会で別れを告げたいと願った婦人の物語でもあります。
わたしの好きな言葉に、キリシタン大名の大友宗麟の臨終に立ちあった後、ある宣教師(ヴァリヤーニだったかも知れません)がローマに送った報告書にこうあります。「彼の人生は骨肉相争うものだった。しかし、彼は聖者のごこく逝けり」。さて、あなたの人生の答えは何でしょうか?
それの答えこそは、実に大切な信仰告白であり、教会の土台なのです。わたしたちの物語が、わたし自身の物語から、恵みに満ちたわたしの人生の中の「神の物語」に書き換えられていくときに、福音の証しが始まります。ローマ書10:10に「心で信じ、口で告白して救われる」と書いてあります。これによって、ペテロは救われたといえます。その後、ペトロもいくつかの惨めな失敗をしました。しかし、それによって救いが帳消しにされることはありませんでした。彼の人生ストーリーは、自分が主人公ではなくなり、主イエス・キリストが演じるものとなったからです。ほかにも、イエス様に救われた女性の言葉も残されています。彼女は5回も結婚に失敗し、村人からも敬遠され、自分も影の人のように日々を送っていました。
彼女のストーリーは侮蔑と憎しみに満ちていた。
しかし、彼女は証して言いました。「この方がメシアかもしれません。」そして、彼女の証しを信じたサマリアの村人たちは言いました。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」(ヨハネ4:42)彼らの物語は救いの物語となったのです。みなさんの物語の答えは何でしょうか。今日もイエス様は、優しく問いかけられています。心から信仰告白することを望んでおられます。