閑話休題

大阪都構想の不思議

旧約聖書を読むと、当時の聖地はエルサレムだけではなく、サマリアのゲリジム山にもあったようです。実際に、ゲリジム山で開催されたサマリア人の過ぎ越し祭に参加したことがあります。それは、古代の幕屋の時代の祭儀を彷彿させるものでした。サマリアの人々は、エルサレムではなく、ここが聖地だと主張しているわけです。新約聖書にもそのことは書かれています。「わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」(ヨハネ福音書4章20節)まあ、原則的には、聖地はいくつあっても良いわけですが、都の場合はどうなんでしょうか。わたしが大学で英語を教える時に、都は首都であり、CAPITALであり、それは頭(かしら)の意味です。大阪都構想の不思議は、一つの国に二つのCAPITALが存在しうるのかという事です。胴体が一つで頭が二つのようなキメラ状態は、いかにも不思議な政治体制といえるでしょう。また、だれもそうした議論に疑問を提起しないのも不思議なことです。

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