印西インターネット教会

密集する害と独立する課題

我が家の近くの畑の真ん中に、杉林があります。不思議なことに、この杉林の木々は、過去20年間にほとんど成長していないのです。20年前も幹の太さが10センチくらいで、今も同じくらいです。その原因は、1メートル間隔くらいで縦横にビッシリ植えてあるからです。間伐しない限り、この林は成長のとまった林であり、生きていながら死んだ林であり続けることでしょう。この林を見ながら、わたしは日本の社会の雛形を見る思いがします。狭い国土の中で、同じような人々が、同じような服装をし、同じような流行を追い、同じようなメディアの影響を受け、同じアイドルに熱狂し、他者と同じ考えを持ち。同じ行動をすることが善だと教えられてきているのです。そうした、成長の止まった社会の中でも、創造的な業績を残した人はいます。ただ、彼らは密集しないで孤高の人だった場合が多いようです。彼らは、孤立を恐れなかったから、独自の成長を遂げることができたのでしょう。成長しない杉林に似ていますが、わたしが借りている畑に播いた白菜は、一か所に数本芽を出します。苗の場合は、最初から一株だと成長に問題があるようです。ただ、そのままにしておくと、どれも大きくは成長しないので、間引かなければなりません。樹林でいうなら、間伐です。ただし、わたしは、「間引き」という言葉も好きではないし、せっかく芽を出した生命を切り捨ててしまうのも残念に思えます。しかし、中国の農民は、間引かず、余計な苗は抜いて別の所に植えるという話を聞きました。これなら、命の無駄にはなりません。こうした移植は、雨の前後にやらないと成功しませんが、別の場所で成長を始めた苗を見ていると、密植を免れた苗も、移植された苗も、それぞれがそれぞれの場所を得て、生き生きとしているように見えます。日本という集団社会も、各個人の成長と才能の開花のために、海外へ移ったり、異色な人を受け入れたり、飛び級や、転職が自由にできるような環境になって欲しいものです。

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