印西インターネット教会

ウオーターボーイズ+ロケットボーイズ=友情

皆さんは、妻夫木君が若かりし頃の青春ドラマ、ウオーターボーイズ(男子シンクロチーム物語)を覚えているでしょうか。あれは、わたしにとっても衝撃的な物語でした。なぜなら、自分の卒業校である埼玉県立川越高校のプール(50M公式プール)での実話をもとにしたものだったからです。そして、つい最近、1950年代のアメリカでは、ロケットボーイズと呼ばれた青年たちがいたことを、「遠い空の向こうに」という映画を見て知ったのです。これは、アメリカの小さく貧しい炭鉱の町で、旧ソ連による人類最初の人工衛星スプートニクに刺激された高校生たちが、何度も失敗しながら小型ロケットを完成していく様子を描いています。そのロケットボーイズの一人であった、ホーマー・ヒッカムは後にNASAの宇宙開発技術者になっています。これら二つの実話に共通するのは何でしょうか。限りない失敗と、限りない友情だと思いました。男子シンクロチームを結成し、それを世に認めてもらうのにも失敗と苦労があったし、素人高校生たちが、本からの知識だけでロケットを制作するのも失敗と苦労の連続でした。しかし、彼らはやり遂げたのです。何度も何度も失敗しても、それを乗り越える友情があったからです。だから、現在のようなコロナ禍においても、友情による励ましは、困難を乗り越える力を与えうると思います。聖書の中に出てくる美しい友情物語は、ダビデとヨナタンとのあたたかい心の絆に見ることができるでしょう。サウル王に仕えていたダビデと、その王の息子であったヨナタンは、立場は違っても、確かな友情で結ばれていました。民衆が国民的英雄ダビデを熱狂的に支持し、サウル王がそれに嫉妬し、ダビデを殺害しようとした時も、ヨナタンの友情は変わりませんでした。ダビデはヨナタンに尋ねました、「お父上に対してどのような罪や悪を犯したからといって、わたしの命をねらわれるのでしょうか。」ヨナタンは答えました、「決してあなたを殺させはしない。」それでもダビデは不安を覚えて言いました、「死とわたしとの間はただの一歩です。」ヨナタンは答えました、「あなたの望むことは何でもしよう。」そして、その約束通り、ヨナタンはダビデの逃亡を助けてくれたのです。これは旧約聖書のサムエル記上20章に詳しく書かれています。サウル王が恐れていたのは、一種の親心であり、ダビデの信奉者が多くなり、やがて王権がヨナタンではなくダビデに与えられることだったのです。実際にそうなりました。しかし、聖書には、「ヨナタンは、ダビデを自分自身のように愛していた」(サムエル記上20章17節)、と書かれています。自分の立場が失われても友を支えようとするところに、深い友情を感じざるを得ないのです。後に、ダビデ王朝ができたのも、このときの友情のおかげです。ハッと振り返って見れば、これは特殊な話ではありません。わたしたちも何と多くの友情に支えられて今日を生きていることでしょうか。ロケットボーイズが皆から白眼視されていた時も、変わらずに支えてくれたのは、クラス担任の女の先生でした(この先生はその後まもなく、病気で死亡)。そこにも師弟間の友情がありました。そして、ロケットボーイズの一人であり、映画に取り上げられた原作を書いたホーマー・ヒッカムは、ユーチューブにアップされている対話の中で、マークトウェインの言葉を引用し、「GOD LOOKS AFTER FOOLS AND DRUNKARD」(神は馬鹿者や大酒飲みの世話をしてくれる)と述べていました。さすがに、アメリカでは彼のような技術系の人でも、キリスト教の真髄を知っているなと思いました。なぜなら、ホーマー・ヒッカムはロケットに夢中で馬鹿にされていた自分のことも含めて自嘲的に言ったわけですが、この引用によって、困難を支えてくれた友情や、その友情の根底にあった神の絶対愛を認めたものだと思いました。そして、この神の絶対愛を発生源とする友情は、千年前のダビデの時代、1950年代、そして現代のわたしたちへと、時空を超えて語り継がれているのです。その一部が、インターネット教会のメッセージだと思います。神が友情を用いて、わたしたちを励ましてくれていることは、夜空を横切るスプートニクを見るより明らかです。(追記:貧しい炭鉱夫の息子たちだったロケットボーイズの青年たちが、科学コンテストに優勝して、優秀な大学の特別奨学生として迎えられたのを見て、日本とアメリカの技術格差の原因を知りました。日本なら、優秀な学生にたいしては、せいぜい一枚の紙きれに過ぎない賞状や小さな賞品を渡すだけで、その後の勉学を経済的に援助し、やがては国家の科学技術向上に貢献できる人間にまで育成していくという、思考回路はあまり見られないでしょう。残念なことです。)

 

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