鬼滅の刃の「刀投げ」に注目が集まっています。これに関して、忍者の専門家は、主要な武器を手元から離すことはまず考えられないと言います。忍者は相手を倒すスーパー・ヒローではなく、サバイバルのエキスパートだからです。戦闘時のサバイバルのことについて考えると、旧約聖書サムエル記上19章以下に記載されている、「ダビデの逃亡」のことを想起せずにはおれません。サウル王の迫害を受けたダビデは、まさにサバイバルをめざす逃亡者でした。彼が生き抜いたのは、本文を読めばわかりますが、まさに情報力を大切にしたからだと思います。砦の位置や、住民の感情、サウル軍の動向などをいちはやくキャッチしています。それだけではありません。錯綜する情報の中で、情報が多いがゆえに、普通の人なら迷ってしまいます。ところが、ダビデは違いました。神の御心を祈りのうちに求めたのです。その決定的な言葉を発見しました。サウル軍の逼迫で自分の両親の命さえ危険にさらされたときに、ダビデはモアブの王にその保護を求めました。その時にこう言ったのです。「神がわたしをどのようになさるか分かるまで、わたしの父母をあなたのもとに行かせてください。」(サムエル記上22章3節)困ったときに、多くの人は祈るでしょう。あの自信に満ちた織田信長さえ、巨大な今川軍にたいして極めて少数の兵力で戦わなくてはならない情況になった時に、熱田神宮で祈りました。けれども、そうした祈りは、勝利祈願であることが多いものです。自分の願いを聞いて下さいという事です。しかし、ダビデの祈りは、託宣であり、先ず神が彼に何を求めているのかを知ることでした。「神がわたしをどのようになさるか分かるまで」という言葉にそれが示されています。神がダビデの人生の破局を決めたなら、それが何であれ、心から従う気持ちがありますという姿勢です。ですから、ダビデから学ぶサバイバルの秘訣は、情報を大切にはしながらも、最終的には神の御心を求めて、決断する事でした。コロナのもたらす困難に関しても、この姿勢があれば、サバイバルしていけるように感じました。