閑話休題

ボクシングタイトルマッチにおける井岡選手と田中選手の危機察知能力の違い

昨年末の試合で、若さとパワーとスピードのある田中選手が6歳年上の井岡選手にTKOで敗退しました。解説によると、それは、危機察知能力の違いの結果です。ビデオを見たら納得できます。自動車の運転でも同じではないでしょうか。周囲の状況に対する危機察知能力も運転技術の一つだと思います。わたしも40年以上運転してきて、これまでは無事故ですが、危機察知能力が落ちている時には、もう少しで死ぬところだったというような経験がいくつもあります。聖書に出て来る危機察知能力の例は、聖家族のエジプト逃亡の話です。ヘロデ王が救世主の誕生を恐れて、ベツレヘム周辺の新生児の虐殺を行った時のことです。「主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデがこの子を探し出して殺そうとしている。』ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。」(マタイ福音書2章13節以下)これはまさに危険の予告です。ヨセフは危険察知能力が高かったから、朝を待たずに、夜のうちに逃亡したのです。わたしが、エジプトのカイロを旅行した時に、市内の一角に、教会がたっていました。回教徒の国なので、不思議に思って聞いてみると、地元の人が「ここはキリストの聖家族が住んでいた場所だ」と説明してくれました。こうした危機察知能力は、地震や台風、洪水などの自然災害だけでなく、火災や盗難、暴力、またコロナの防疫などにも役立ちます。神様は、色々な形で危険の兆候を知らせてくれています。しかし、ノアの箱舟の時のように、大勢の人は毎日の暮らしに没頭するだけで、神様からの危機の知らせに耳を傾けません。「大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は『苦よもぎ』といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ。」(黙示録8章10節以下)この「苦よもぎ」は、ロシア語でチェルノブイリであり、1986年に原発事故を起こした発電所のあった町の名前です。これは単なる偶然の一致でしょうか。わたしにはそうとは思えません。この事故での被爆者数は、ロシア国内だけで342万人ですが、ヨーロッパ諸国にもさらに多くの被爆者を生みました。事故後に、ヨーロッパ諸国が原発に対する危機察知能力を高めたのは当然のことです。危機察知能力の低い国の代表格は日本であり、政治家は安全性を強調しました。だから、福島の原発事故は避けることができなかったのです。いまでも、日本の報道には、本当の意味での危機察知能力が欠如していることを痛感させられます。

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