車を運転しながら、タレントの山田五郎さんの対談を聞いていました。すると、彼は自分の死を自覚する年頃になったと言いました。たぶん彼は60代だと思います。そして、闇を見つめなければ光を見ることはできないというような意見を述べていました。武士道の鏡ともされる「葉隠」にも死の問題が大きく扱われています。西洋社会にも、「メメント・モリ」(汝の死を覚えよ)という言葉があるのですから、やはり、人間にとって終わりを覚えたうえで現在を語るべきなのでしょう。これが動物と人間の違いでもあります。ただし、昨今は、人間も動物化してきて、目前の欲望の対象しか見えないようになっています。その点で、山田五郎さんは、原点復帰をとなえたといってもいいでしょう。聖書に書いてある死の場面で想起するのは、モーセの最後です。高齢になってから大活躍し、イスラエルの民を率いて、奴隷の地エジプトを脱出し、約束の土地を目指したモーセだったわけですが、そこには入る事が出来ず、約束の地をはるかに望むピスガの山頂で、その生涯の最後に12部族に祝祷をあたえました。そして言いました。「イスラエルよ、あなたはいかに幸いなことか。あなたのように主に救われた民があろうか。」(申命記33章29節)わたしたちも、幸いな人生だったと神に感謝して、生涯を終わりたいものです。これがキリスト教の死生観ではないでしょうか。